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「改憲エロゲー」で考える、“論破したもの勝ち”の弊害

旬選ジャーナル 目利きが選ぶ一押しニュース

2018/06/11

▼〈憲法9条について「ディベート」するエロゲーをご存じだろうか〉5月7日、現代ビジネス(筆者=倉橋耕平)

 右派と左派、リベラルと保守、改革勢力と既得権益など、なんでもいいのだが、政治や社会をめぐる動きを2つの陣営に分け、対立の構図を強調しつつ、両論併記するような報道や言説に、昔から違和感を持っていた。複雑で多様で、濃淡もあれば入り組んでもいる思想や事象を、なぜ大雑把に括り、塗り潰すのかと。

 地方紙の駆け出し記者だった1990年代前半に「政権交代可能な二大政党制」を目指す新党ブームがあり、その流れで小選挙区制が導入された。政治取材を担当していた2000年頃には「自民党をぶっ壊す」小泉劇場が始まり、抵抗勢力を駆逐していった。フリーになるとまもなく橋下現象が大阪を席巻し、「都構想」をめぐって住民が分断された。マスメディアが煽った空疎な熱狂の内実を検証して本にまとめたが、禍根は残り、都構想は今もくすぶり続けている。

 その本では、橋下徹氏の言論術の根っこは90年代のメディア、主にテレビの言葉にあるのではないかと書いた。彼と同い年である私の頭には「激論」や「徹底討論」と称する、いわゆるディベート番組があった。あれは、相手に耳を傾け、情理を尽くす対話や説得ではなく、議論ですらなかった。声の大きさと攻撃性、その場限りの「正しさ」で勝敗を競うゲームに過ぎない。そう考えてきた。

「大阪都構想」は住民投票で反対多数に。政界引退を発表する橋下氏 ©文藝春秋

ディベートは「論破」に主眼を置く

 あの時代を丁寧に解きほぐし、今に続く違和感の正体を教えてくれたのが、気鋭の社会学者が書いたこの論考である。

 タイトルにある「エロゲー」とは、PC用のアダルトゲームのことだが、驚くべきは、その内容。改憲派と護憲派の女子生徒が登場し、憲法9条についてディベートするのだという。中立派のプレイヤーを引き込むため、あの手この手で攻防を展開するらしいが、詳細は措く。

 筆者の倉橋耕平氏は、日本で90年代にディベートが広まった経緯を解説したうえで、憲法改正という論題にその方法がふさわしいのか、思考法に問題があるのではないかと指摘してゆく。

 まず、ディベートは「論破」に主眼を置くため、アドホック(場当たり的)な説得性が重視される。歴史的背景、多様な見解、数多の研究成果などは無視され、過去の発言との一貫性も問われない。先のゲームのキャラが「正解なんてない。あるのは、どっちの方が正しく聞こえるか」と語るのは象徴的だ。