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90年代の女子高生は「援助交際でもブルセラでも、渋谷で稼いで渋谷で使ってた」

鈴木涼美が歩いた渋谷の20年(前編)

2018/06/17
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1999年、時代の風は女子高生を中心に吹いていた

 現在、渋谷駅周辺は大改造の最中にある。私は工事の音が鳴り止まないこの街が一体どこへ向かおうとしているのか、今一度考えてみたくなった。

 私にとって渋谷は、世界中の他のどんな街よりも特別な、思い出深いところである。私が高校に入った1999年はまさにギャルブームの渦中。時代の風は女子高生を中心に吹いていた。私は渋谷で毎日遊びたいという一心で、中高一貫の神奈川県の女子校を中学で離脱し、目黒駅から徒歩圏内の高校に入学した。女子高生時代の学校外での思い出というと、実に8割以上が渋谷で起こったことかもしれない。渋谷で遊び、渋谷でバイトして、渋谷で買って、渋谷で食べる、ごくごく普通のギャル系女子だった。

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 大学は渋谷からは遠いところに進んだし、学生時代にしていた水商売などの仕事も歌舞伎町や六本木など、渋谷ではない別の繁華街を選んだが、それでも美容院に行ったり、主な洋服を買ったりするのは、変わらずに渋谷だった。そもそも、同世代の元女子高生たちは、集まってみんなで遊ぶ、という時についつい場所を渋谷に指定しがちなのだ。だから私は常に東横線の渋谷駅や渋谷公会堂やパルコなどを横目に過ごしていた。

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 大学院を修了して日本経済新聞社に入社し、新聞記者になった。配属されたのは都庁記者クラブ。東京都政の他に、23区政、東京を走る鉄道会社や都内の百貨店、ホテルやビルの開業などが守備範囲で、私は密かに他の場所よりも渋谷に思い入れを持って、何度も区役所に通い、何度も東急電鉄や西武百貨店の取材をした。

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 そうやって長くみていた渋谷の光景が次々になくなり、刷新される時代に突入したことで、寂しさとも期待ともとれる気持ちに、私自身も整理をつけたい。流行の発信地として色あせない魅力を保って来た渋谷の次の大きなステップを間近で見つめてみたい、と強く思った。

渋谷は何から脱皮し、私は何と決別すべきなのか

 日本国有鉄道の渋谷駅が誕生したのは1885年。JR埼京線ホーム(現在、移設工事中)があるあたりに建てられた小さな木造の建物だった。そして1930年代から徐々に大きな街に成長してきた。そして、2000年前後のギャルブームの渦中にいた私自身にとっての渋谷は、ギャルの聖地であり常に神が降臨する場所だった。かつてここではココルルやエゴイストがギャルたちのファッションをリードすべくしのぎを削っていて、センター街には常に路上に座るギャルの姿があった。そんな渋谷を私たちは愛していたし、誇張なく世界一刺激的だと思っていた。しかし、今はもしかしたらそういったイメージを手放す時なのかもしれない。

 2013年、東急東横線と東京メトロ副都心線の相互直通運転開始に伴い、旧東横線渋谷駅が長い役割を終えた。そのほかにも、渋谷区役所、渋谷公会堂、東急プラザ、宮下公園、渋谷パルコ、NHK放送センター、そして国立代々木競技場など、渋谷を想起するときに思い描かれる象徴的な建造物たちが、すでに、あるいは今後次々と役目を終える。

渋谷ヒカリエ ©iStock.com

 解体ラッシュでもあり、当然、開業ラッシュでもある。2012年の渋谷ヒカリエに始まり、2017年にはキャットストリートの起点である宮下町エリアにシェアオフィスやカフェが中心の複合施設、渋谷キャストが完成し、2018年9月には東横線の駅跡地に商業施設にホテルやコンサートホールを併設した、渋谷ストリームができる。その後も代官山、道玄坂、南平台、桜丘口、駅上などに相次いで大規模な施設がオープンする予定で、駅街区の巨大な複合ビル3棟のうち、2019年に一足先に開業予定の東棟をのぞいた2棟は、2027年に完成が計画されている。

 渋谷は何から脱皮し、私は何と決別すべきなのか。スクランブル交差点を歩くときに耳鳴りがするほど、私の中に強烈に残るかつての渋谷のイメージは、駅が大きな音をたてて再構築されている今、どのような変化を遂げていくのだろうか。

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