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千駄ヶ谷・将棋会館の青春――今日もこの街で、勝者と敗者が生まれる

50年後の「ずばり東京」

2018/07/02

 寝静まる真夜中の街。

 対局室の光は消えない。

 死闘を終えたばかりの男が2人いる。

 瀬川晶司、47歳。

 今泉健司、44歳。

©文藝春秋

 勝った者は安堵の囁きをもらしている。敗れた者は自嘲の笑みを浮かべている。両者とも髪は乱れ、ネクタイは緩んでいる。紅潮した顔は白熱の余韻を漂わせている。

 2018年3月15日、東京・千駄ヶ谷、深夜零時。新しい日付を迎えても4階の対局室「飛燕」での感想戦は続いている。戦い終えた勝負を互いに振り返り、読み筋を語り合う儀式である。

 第76期順位戦C級2組最終10回戦。瀬川五段対今泉四段戦は午前10時に始まり、昼食休憩と夕食休憩を挟んで夜戦に突入した。2人が何度も繰り返してきた一日のリズムだった。

 激闘の果てに、瀬川は勝勢を手繰りよせた。正着を重ねれば勝利に辿り着ける戦況だったが、持ち時間を使い果たして一分以内に次の手を指さなくてはならない「一分将棋」の切迫に追われ、失着を指す。死線での延命に成功した今泉に形勢の針は一気に傾いた。

 午後11時16分、瀬川投了――。

 戦い終えた2人が訥々と交わしていた声も、澄んだ駒音もやがて消えた。40枚の駒を収めた駒箱が将棋盤の中央に置かれた。両者は深々と頭を下げ、一日は終わった。

 珍しいことなど何ひとつない。夜の将棋会館のありふれた風景だった。

オールドルーキー

 2人には共通項がある。いずれも棋士養成機関「奨励会」で四段(棋士)昇段を果たせないまま年齢制限の26歳を迎え、退会した過去を持つ。

(左)瀬川晶司/(右)今泉健司 ©文藝春秋

 後にアマチュアとして再起し、瀬川は35歳、今泉は41歳の時に編入試験を突破し、棋士になる夢を叶えた。戦後、奨励会を卒(お)えずに棋士になったのは彼らだけである。

 順位戦は2人が幼い頃から夢見た名人へと続く棋戦。最下級のC級2組から一つ上のC級1組には年度毎に3人が昇級する。今期、C級2組に属する棋士は50人。這い上がれるのは50分の3という狭き門だったが、瀬川戦に臨む前の今泉は昇級の目をわずかに残していた。

 自らが勝ち、同星で並んでいた5人全員が敗れれば昇級枠の最後尾に滑り込むことになっていたが、5人は全員勝った。奇跡の男による奇跡の昇級という筋書きを描き、待機していたテレビクルーはドラマの可能性が消えると同時に現場を離れた。

 戦後最年長のオールドルーキーだった今泉は、史上最年少棋士の藤井聡太六段とともに開幕7連勝と首位を走ったが、その後に連敗。千載一遇の好機を逸し、8勝2敗で今期を終えた。前局で昇級を決めていた藤井は同日の最終戦でも軽々と勝利し、10戦全勝で名人への階段を上がった。

 手痛い敗北によって4勝6敗と負け越した瀬川は、足早に会館を出て千駄ヶ谷の街を歩いた。

「なぜかは分からないんですけど、負けた日は一刻も早く会館を立ち去りたくなるんです。ずっと昔から。千駄ヶ谷は……常に気持ちが浮き沈みする街です。街を歩いている時、平穏な気持ちでいられた記憶はあまりない。対局の朝はどんな将棋を指せるだろうかと熱くなりますし、勝てば高揚する。でも、負ければ苦しい思いを抱える」

 すぐ近くで棋士仲間と研究用に借りているマンションの一室に戻ってベッドに潜り込んだが、どうにも寝付けなかった。

 再び街に出て馴染みのバーで酒を傾け、負けた夜にいつも抱える思いに囚われる。

 自分は甘いんだ。

 今日は勝てる将棋だったのに、負けたのは自分が甘いからなんだ。

 そして夜の街を力ない足取りで再び歩き、研究室に戻る。

 ようやく浅い眠りに就いた。