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柴崎岳と大迫勇也 “寡黙なふたり”はなぜチームの中心になれたのか

柴崎岳と大迫勇也 “寡黙なふたり”はなぜチームの中心になれたのか

2018/06/27
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大迫はドイツで何が変わったのか

 同じく鹿島アントラーズ出身の大迫もまた、ドイツへ渡り変わった。

 彼が最初に所属したのは、1860ミュンヘンという長年2部に所属するチームだった。加入直後、初出場初ゴールを決めると6試合で4得点と違いを見せた。しかし、その後はゴールから遠ざかっていた。

 2014年4月、前半で4失点し、2-4と敗れたドレスデン戦を現地で取材した。大迫自身のゴールもない。鹿島時代ならメディア対応はしなかっただろう。しかし、彼はメディアの前に自ら立ち、「こんな不甲斐ない試合をしてしまって悔しい」と強い口調で語った。彼の思いが伝わってきた。

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大迫勇也選手(ドイツ・ブレーメン所属) ©JMPA

 同時に大迫のプレーに違和感を抱いた。プレーエリアが非常に狭くなっていたからだ。ゴール前でディフェンダーと駆け引きしながら、何度も動きなおしを繰り返し、味方のパスを引き出すという彼のストロングポイントが活かせていなかった。エースをつぶそうとする、大柄な相手ディフェンダーに苦労している印象だった。そういう相手であっても、彼のポジショニングや動きで対応できるはずだろうにと思ったからだ。

フォワードらしい図太さを3カ月で身に着けた

「あまり動きなおしをすると、『パサーが見失うから、動くな』って言われているんですよ」

 数日後、練習場で話を聞いた大迫はそんなふうに現状を語った。ドイツとはいえ、どのチームも選手の質が高いわけではない。特に2部ともなれば、フィジカル重視で戦うチームや選手も多い。視野の広さでいえば、日本人選手のほうが広いのだろう。

 しかし、その日見た練習での大迫は、試合以上に動き、味方に声をかけパスを要求していた。

©JMPA

「僕は諦めないですよ。味方とうまくコミュニケーションが取れれば、変わっていくと思うから」

 パスが出てこなければ、仕事ができない。それがフォワードだ。Jの強豪クラブ鹿島とは違うチームメイトに対して、不満を口にすることもなく、そして、周囲に合わせるのではなく、自身に合わせろと強く要求することを躊躇わない。ドイツへ来て、3カ月ほどだというのに、大迫には欧州でプレーするフォワードらしい図太さを漂わせていた。