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「ダイバーシティ経営」の落とし穴

楠木建の「好き」と「嫌い」 好き:インクルージョン 嫌い:ダイバーシティ

2018/07/03

 あくまでも個人的な好き嫌いの話として聞いていただきたい。

「好き嫌い」、それは「良し悪し」ではないものの総称である。良し悪しと好き嫌い、いずれも価値観だが、連載1回目で話したように、価値基準としての一般性が異なる。その時点で社会的なコンセンサスを得た普遍的な価値観、これを良し悪しという。これに対して好き嫌いは、個人もしくは家族、コミュニティ、組織といった特定の集団に局所化された価値観を意味する。

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 広範な人びとが普遍的な価値基準を共有することで「文明」が生まれる。時間に遅れてはいけない、約束は守らなくてはならない、人のものを盗んではいけない――こうした個人や個別の組織を超えた良し悪しが文明の基盤となる。

 良し悪しは究極的には「法」として明文化される。それが影響を及ぼす範囲(いまのところは国家)にある人は、誰もが等しく法に規定された良し悪しを受け入れなければならない。逸脱して「悪いこと」をすれば罰される。いくらケンカがスキだからといって、いきなり人を殴ってはいけない。

 一方の好き嫌いに普遍性はない。同じ物事を好きな人もいれば嫌いな人もいる。それで特段の問題は生じない。むしろ、そこに個人なり組織の特色が現れる。文明が良し悪しであるのに対して、好き嫌いは「文化」といってもいい。

「不倫は文化」か?

「不倫は文化だ」といった人がいた(らしい)が、以上の定義に従えば、これには若干の無理がある。日本ではさすがに刑法上の犯罪にはならないが、不倫が原因で離婚した場合、民法では相当に不利な状況に追い込まれる。文字通り、倫理に反する「悪いこと」というコンセンサスが多くの国や地域で社会的に定着している。少なくとも建前においては、不倫(をしない)は文明の範疇に属する。

だから不倫は隠密行動となる

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 だからといって、僕は人の不倫を糾弾するつもりはまったくない。当事者自らが「不倫は文化だ」と開き直るのはどうかと思うが、本人がスキでやっているのだから、それはそれでイイ。しかし、文春メディアは不倫に対して実にキビしい。オンラインとオフライン(雑誌)のコンビプレーも鮮やかに、不倫に日夜狙いを定め、次から次へと文春砲をぶっ放す。前にも話したが、僕はこの手の記事がキライで、「そんなことどうでもイイじゃねえか……」と思うのだが、文春は不倫となるとヒートアップする。

 これはどういうことかというと、ようするに文春は不倫問題が大スキなのである。大スキだからあらゆる苦難を乗り越えて文春砲に弾を込め、盛大にぶっ放す。で、そういう話がスキな人がその手の話題を楽しむ。不倫スクープは文春というメディアの「文化」であって、「世の中の不正義を糺す!」というほど「文明」的な話ではない。

 それが証拠に、対象が芸能人や政治家などの著名人でなければ、文春は何の興味も示さない。「どうぞおスキなだけ……」とスルーしてくれる。つまりはエンターテイメント。スキな人はスキなだけ読めばいいし、僕のようにキライな人は見なければいい。そういうことなのである。

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