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連載むらむら読書

アガサ・クリスティを読むと小説を書きたくなるワケ――犬山紙子「むらむら読書」

2018/07/08

 思春期にまっさらな気持ちで本を読んで「わああ何これ? こんな面白い作品がこの世にあるの?」と急に扉が開けて興奮してどっぷりハマる……あの快感を超える体験ってあまりない気がします。

©犬山紙子

 仕事相手兼友人のKさん(49)は卓球少年だった中学生の時にアガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』を読み「こんなトリックを考えられる人がいるのか」と興奮。それまで使ったことのない脳みそをつんつんされた感じがあり「俺もこんな作品を書いてやる」と創作意欲がむらむら搔き立てられたそうな。まだ友達がアガサ・クリスティ童貞だったというのもあり、友人たちを自分の書いた作品でむらむらさせてやろうと思ったそうです。

 そこからは、放課後自分にクリスティを憑依させて(すごい)一生懸命トリックを考えて執筆。崖を使ったトリックを思いついた瞬間「はい、俺天才、これはデビュー」と有頂天に。布団の中で最年少で賞をとった自分がインタビューを受ける様を妄想したことでしょう。

 しかし作品を完成させたのだから凄い。K少年の集中力もすごいけど、ここまでムラムラさせたアガサ・クリスティが凄い。だって「俺にもかけるムラムラ」って1、2行書いて「やっぱ自分には無理だわ」ってしぼんでしまうことが大半なのに、最後まで書き切らせてしまうほどの衝動を与えたわけで。読んだことが誇らしくなるほどに素晴らしい作品の力たるや。ちなみに私は金田一少年の事件簿をアガサ・クリスティよりも先に読んでしまった世代でして、先にこちらを読んでおけばよかったと後悔しています……。難しそうと思って遠ざけてしまっていたのですが今読むとなんて読みやすく洗練された無駄のない文章か。

 大人になるとフィルターがかかってしまったり腰の重さでなかなかあの快感を得ることは難しくなってきます。でも、知識と経験があってこそ訪れる(個人的に)選び抜いた快感だってそりゃあもうたまらないもので。

 最近は穂村弘さんのエッセイでその状態になりました。自分の頭からは出てこない、なのに身近な言い回しは「それだ、私の気持ちはそれだった。もっとくれ、もっと穂村さんの言い回しをくれ」と中毒患者のようになってしまう。そして「私も早く文章書きたい書きたい」とムラムラさせられたのです。

 K少年はその後小説家ではないけれど、TV番組を作る大人になりました。「小説を書き上げた時のカタルシスがすごかった」と言っていますが、きっとそのカタルシスを経験したことって大げさでなくその人の人生を左右することなのかもしれません。