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金正恩がまた訪中 国内の留守を託す“ナンバー3”の素顔

2018/07/06
崔竜海氏 ©共同通信社

 北朝鮮の金正恩・労働党委員長は6月19日、中国の北京を訪問し、習近平主席と会談した。これで3月、5月に続く3度目の訪中となったが、これまでと違う点がある。

「異例なことに北朝鮮メディアが金正恩氏が中国を訪れたことを即座に報道したのです。これまで北朝鮮では、最高指導者の不在時にクーデターが起こることを警戒し、その動静は一切報じてきませんでした」(韓国人記者)

 変化のきっかけは、先日の米朝首脳会談だったという。

「朝鮮中央通信は正恩氏のシンガポール訪問を会談前日の朝に報じたが、3日間の留守中、国内で不穏な動きは起こらなかった。それで今回、訪中のニュースも情報解禁したのでしょう」(同前)

 一方で、注目を集めるのが、米朝会談の間、国内に睨みを利かせた崔竜海(チェリョンヘ)・労働党副委員長の存在だ。事実上の序列では、金正恩氏、妹の与正氏に続く“ナンバー3”にあたる。

 崔竜海氏は、抗日パルチザン出身で金日成氏の“忠臣”だった崔賢(チェヒョン)・元人民武力部長の息子である。崔賢氏は、日成氏に正日氏を後継者にするよう進言したとされる。

「その恩があるため、正日は、崔賢の息子である竜海を重用し、義兄弟の契りを結んだとされています」(北朝鮮関係筋)

 その竜海氏は、正恩氏の叔父でありながら、後に粛清された張成沢氏の“改革派”グループに近かった。

「竜海氏も何度も左遷などの憂き目に遭いましたが、粛清を逃れて、ここまで上り詰めることができたのは金家と崔家の関係ゆえです」(同前)

 また筆者が北朝鮮の中枢部に近い関係者から入手した資料によると、正恩氏の妹、与正氏は15年4月に、崔竜海氏の次男と結婚したという。

 こんなエピソードもある。

 党の主要幹部が揃ったパーティーで、正恩氏が竜海氏を叱責した。すると、その帰途、屈辱のためか、竜海氏は脳出血で倒れてしまった。

 大事には至らなかったが、その直後、与正氏は兄のもとを訪れ、こう諫めたという。

「兄さんは、相手が倒れるまで懲らしめなくては、苛立ちを抑えられないのか!」

 舅のために抗議した妹の言葉もまた、兄をして竜海氏を重用せしめている理由なのかもしれない。