昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

ロッテ・内竜也が書く「オールスター初登板で思い浮かんだ中学の同級生のこと」

文春野球コラム ペナントレース2018

2018/07/16

 千葉ロッテマリーンズの内竜也です。2日間に渡るオールスターを終えて、このコラムを書いています。プロ15年目での初のオールスター出場。しかも自分にとっては33歳の誕生日にオールスター第1戦が行われ、その日に投げさせていただく機会をいただきました。

 07年に右肩を手術しました。その後、10年に右足首を手術。11年に右ひじを手術。12年に右足を手術して13年も右足首を手術。14年に右ひじと右足首を手術。計7度の手術を経験しました。10年からは5年連続の手術。14年に至っては手術後の入院中に盲腸を患い、別の病院で手術を行いました。そんな自分がオールスターに出場できる日が来るなんて正直、想像も出来ませんでした。

内竜也 ©文藝春秋

一度、バスケ部に入った中学時代

 今回、このコラムはオールスターに登板した翌朝に自分から書きたいと梶原(紀章)広報に相談して、機会をいただきました。それは中学校時代の友人2人に感謝の気持ちを伝えたかったからです。私は小学生の時に野球をやっていましたが、中学校に入ると野球を辞めて、バスケットボール部に入りました。単純にスポーツ刈りにするのが嫌だったからという理由と、当時、漫画で「スラムダンク」が流行していてバスケットボールに興味を感じていたからです。

 そんな自分に野球部の友人2人はずっと声をかけてくれました。「内なら野球をやった方がいい。小学校の時、いい球投げていたじゃないか」。小学校の時は彼らとは同じチームではありませんでした。そして自分自身も大した実績を挙げてもいません。それでも何度か対戦したりと自分が投げていた時のことを覚えてくれていて、「野球を続けるべきだ」と熱心に声をかけてくれました。一度、バスケットボール部に入り、フォワードとして試合にも出場をしていた自分は断り続けていました。それでも諦めず、なにかと声をかけてくれました。

 あれは中学2年秋の事でした。体育祭を終えたタイミングで、また説得されました。実はこの時、体育祭の時期に合わせて私がスポーツ刈りにしていたのを見た彼らは「スポーツ刈りが嫌だったんじゃないの? 入ろうよ。今からでも十分に間に合うよ」と声を掛けてくれました。これだけずっと毎日のように説得されてふと心が揺らぎ、そこまで言うならと野球部に入る決意をしました。

 ハッキリ言って2年秋に部活動を変更するのはタブーに近かったと思います。疑問視していた人もきっといたと思います。そんな中、彼ら2人は他の部員とすぐに馴染めるように様々な配慮をしてくれました。同級生だけではなく、後輩も突然、先輩が一人、バスケ部から加わって困惑したと思います。それも2人がうまく伝えてくれました。だから最初から本当にすんなりとチームメートとして受け入れてもらいました。

 投手としての実績はここから始まったと言って過言ではありません。3年に市の大会に優勝。自分はすべての試合に先発し完封しました。そして高校でも野球を続けたいという気持ちが芽生えました。2人は残念ながら高校では野球を続けませんでしたが、それでもやはり自分の能力を評価してくれて応援してくれました。1人はカナダに留学をしたのですが、向こうでも自分の情報をチェックしてくれていたと聞いています。プロ初先発した際も応援に来てくれました。仕事がある中で、頻繁に応援に来てもらっています。