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ブレイクしきれない“永遠の若手”に共感してしまう漫画家の気もち

文春野球コラム ペナントレース2018

2018/07/22

 私のガンダムはファーストで終わった。

「僕には帰れるところがあったんだ」のアムロのセリフと共に。もう30年以上前のこと、今観れば確かに画面は荒い。古いと言う人もいるだろう。現在のアニメはどれも絵がつやつやと綺麗で、CGをふんだんに使いメカだってするする動く。

 でも、私にとってのガンダムはファーストっきりで一番かっこいいガンダムだ。

 野球を好きな気持ちはそれと違い、前年が優勝だろうが最下位だろうが新しいシーズンはまっさらな気持ち、いちからの応援だ。1年きりの新作。12球団の選手が創り上げる誰も予想のつかない物語を観る。オラわくわくしてきたぞ状態な幸せ。

 私の応援空中固定元素は3つある。

1、 あこがれ
2、 同志
3、 近所のおばちゃん

 あこがれは初優勝の山本浩二、衣笠祥雄を見上げた時のように野球選手の烈々と生きる様を観る気持ち。同志は働くものの共感する気持ち。近所のおばちゃんは「怪我しんさんなよ」と見守るような気持ち。

 2番の同志な気持ちで応援という共感を一番寄せるのは「永遠の若手」たちへかもしれない。12球団のどこにも「永遠の若手枠」が何人かいないだろうか。いるよね。そのひとです。思い当たる何人か。

 改めて年齢をみて「もうそんな歳なの」とちょっと驚く。1軍と2軍を行ったり来たり。調子がいいときに「開花か」「ブレイクだ」と思わせてまたベンチの存在に戻る。期待の若手と言われて、その位置のまま。次々と若い選手は入団してきて年齢だけ中堅になりレギュラーは獲れない。上向きな時期に限ってうっかり怪我をしたり。応援せずにいられようか。

1枚100円で描いていたアニメーター時代

 冒頭で書いたように私はファーストからアニメファンになりアニメーターになった。オタクという言葉がまだなかった時代。むかーしむかしのことじゃった。19歳。
今はネットで横のつながりがありアニメ業界の現状は世間に少しずつ広まっているのでご存知の方には申し訳ないが、体験談としてアニメーション業界を知らない方に書いておこう。30年以上むかしの話ではあります。

 まず賃金は安い。私の頃は1枚100円だったかなあ。最初のお給料は6000円。万じゃないよ、千よ。労働時間は「できるだけ」。私は寝て風呂に入る以外は会社にいた。とにかく毎日描いていた。休み? ないない、出来高だから描かないと!

 どれだけ描いても1年目の下手な新人には10万届くかどうかのお給料しかない。リテイク(やり直し)をくらうと100円の絵を何度も何度も描きなおす。1枚に何時間かけたか時給を考えると恐ろしくなる。数円? かな。アニメーターになって11か月、急性腎炎で倒れて田舎で入院、1年以上休職した。

 アニメーターには保障もない。会社所属の人は何割だろうか。ほとんどがフリーの扱いだ。作品契約はあっても終わればそれまで。病気怪我の間は収入ゼロだ。

 いま漫画を描いているがアニメーター時代よりびんぼである。売れてないから。笑うー。保障がないのもかわりなく。アニメーター時代は「40過ぎたアニメーターはどこにいくのか」「アニメーター墓場がどこかにあるに違いない」と自虐で笑う人もいた。そこには漫画家墓場もあるだろうか。

 誤解なきよう申し上げるがアニメーターも漫画家も稼げる商売です。野球と同じく夢がある商売で稼げるときは稼げる、ひともいる。楽しく暮らせるだけ稼げる。描けば。私より年上の方々が老眼をぼやきながらばりばりの現役だ。