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連載松尾諭「拾われた男」

松尾諭「拾われた男」 #16 「奥多摩の渓流で男7人、正体不明の音を聞いた日」

2018/07/08

genre : エンタメ, 芸能

 大学に入り、一人暮らしを始めるようになってからは慢性的に金欠状態だった。その頃は居酒屋とカラオケ屋をかけもちしていたが、それでも口癖のように「金がない」と言っていると、先輩が割のいいアルバイトを紹介してくれた。仕事は、大手新聞社で書類の仕分けだという。給金は申し分なかったので二つ返事で引き受けた。

FAXセンターの念寺さん

 新聞社は大阪にあり、その大きなビルのワンフロアを占める編集局の一角の整理部のさらに隅っこにあるFAXセンターという二十台ほどのFAXに囲まれた小さなスペースが職場だった。仕事のはとにかく楽で、社員さんから「僕!」と呼ばれたら原稿やゲラを受け取って、それを支局にFAXで流す、もしくは支局からのFAXを任意の部署に持っていく、他にも細々とした雑務はあるものの、勤務時間のほとんどは、フロアの中央にある喫煙所でタバコを吸いながら他のバイトや社員さんと無駄話をするか、FAXの前で椅子に座って漫画雑誌を読んでいた。その漫画雑誌はバイト同士でそれぞれ担当を決めて少年誌や青年誌が発売される日に買ってくる決まりとなっており、当時刊行されていた雑誌をほとんど全て読むことができたので、もはや漫画を読むのが仕事のようになっていた。勤務時間は夕方五時から深夜の二時までと長かったが、休憩時間も多く、その休憩時間を利用して、無料で配布される食券を使って食堂で晩飯を食べたり、地下にある大浴場で湯につかったり、仮眠室で眠ったり、しかも帰りは電車がない時間なので、タクシーで家まで送ってもらえるという、あまりにも条件が良すぎて、廃人になってしまうのではないかと心配になるほどだった。

松尾諭さん 9月から放送される「不惑のスクラム」に出演します! http://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/6000/300913.html

 一日だけの研修期間を経て、翌日から通常通りの勤務となった。FAXセンターの仕事は一人でも難なくこなせるほどだったが、二人で番をすることになっていた。その勤務初日のパートナーが念寺さんだった。

「ヒップホップって嫌いなんですよね」に念寺さんは

 ひとつ年上の念寺さんは、質素で人の良さそうなその顔はお地蔵様のようだったが、その出で立ちは、キャップを斜めに被り、ダボダボのジーパンにダボダボのシャツを着て「ヒップホップが大好きです」と口に出さなくてもわかるようなB-BOYファッションだった。ヒップホップがようやく日本でも浸透し始めた当時、大阪のおしゃれスポットアメリカ村を、厳ついB-BOY達が我が物顔で闊歩しているのを見て、ヒップホップという文化そのものに不快なものを感じていたので、念寺さんに対しても当初は同じような気持ちで接していた。だが彼の温厚な人柄に触れて、一週間もすれば打ち解けて話をするようになった。彼も気を許してくれたようで、皆には内緒という前置きをつけて、実はラッパーだと教えてくれたのだが、それを聞いて思わず、ただの聴かず嫌いのくせに「ヒップホップって嫌いなんですよね」と言ってしまった。すると、いつも温和な念寺さんが珍しく熱くなった。結局、念寺さんのおすすめのアルバムを数枚聴くと言う事で彼は落ち着きを取り戻した。後日、借りたレコードを渋々聴くと、それまで体験したことがないほどの衝撃を受けた。その事を念寺さんに興奮して伝えると、彼はとても喜んで、その週末、ヒップホップのイベントに連れて行ってくれた。超満員の会場に着くと、念寺さんは多くの人に声をかけられていた。後で知ったことだが、念寺さんは大阪ではそれなりに名の通ったラッパーで、そのイベントでも飛び入りでラップを披露した。いつも蛍光灯の白い光の中でダラダラ漫画を読みながらニコニコと話をする念寺さんはもうそこにはなく、ステージの上でマイクを握り、まばゆいスポットライトを浴びて、切れ味鋭い言葉を吠えるように吐き出す彼と、それを受けて盛り上がる客に度肝を抜かれた。