昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

“抗う教祖”法廷で見た「麻原彰晃 死刑判決」の瞬間

裁かれる13の事件、その時麻原は……

2018/07/06

genre : ニュース, 社会

6年間の沈黙

 この時の意見陳述で教祖が起訴事実について主張したことは、坂本弁護士一家殺害事件から地下鉄サリン事件まで、みんな弟子が勝手にやったこと。全ては弟子のせい。

 自分は悪くない、無罪だ、というわけだった。

 ところが、相変わらず弁護団は執拗な証人尋問を延々と繰り返し続けた。

 その弁護団を、被告人は延々と無視し続けた。やがて、不規則発言や独り言にも疲れたのか、法廷でも何も語らなくなった。

 それでも、弁護団の怠惰な浪費戦術は続いた。

 そのうちに、ニューヨークのワールド・トレード・センターに航空機が飛び込む9・11米国同時多発テロが発生し、アフガニスタンにおけるタリバン掃討作戦から、イラク戦争に至っても、この裁判は延々と続いた。

 やがて、検察側立証が終了し、弁護側の立証に入ったところで、裁判長が交替。

 ところが、無罪を主張する被告人にとっては、反証の場が与えられたというのに、被告人質問に臨んでも、弁護人の問いかけにも一切答えようとしなかった。

©getty

 挙げ句には、弁護人が代わる代わる立ち上がっては、かつて被告人の意向を無視したことを懺悔して詫びる有様だった。

 そんな弁護人の問いかけにも、最後に小川裁判長が意思確認をしたところでも、まったく一言も発しなかった。

 この被告人は、7年10カ月のうちの6年以上を、誰とも会話をせずに過ごしてきたことになる。

 それはそれで、たいしたものだと感心するところでもあった。

 やはり、それだけ宗教家として修練された精神を持ち合わせているのか。

 それとも、教団でやりたい放題から、周囲に無視され、死刑が差し迫る疎外感、恐怖感から、時間の経過と共に、言葉も発せないほどに、どこか壊れてしまったのか。

 そんな長期裁判終盤の被告人を評して、小川裁判長がこう言ったことがある。

 麻原シンパの弟子が弁護側の証人として呼び出され、教祖に遠慮して証言すべきかどうか、法廷で迷ってみせた時のことだった。

 自分がここで証言したほうがいいのか、それとも拒否したほうが教祖の教えに沿うことになるのか、本人に意思を確認してくれ、と懇願したのだ。その意向を汲んで、弁護人が麻原に優しく尋ねるも、相変わらず心ここにあらずと無視する。

 その時、裁判長がぽつりと言った。

「最近、何を聞いても答えない」

 それを受けてすかさず弁護人が、「検察側の証人尋問で有利なことを言わないから、寝ている時もあれば……」と証人に言いかけると、これを遮るように再び小川裁判長が言葉を継いだ。

「証言はちゃんと聞いていますよ。寝ていることもあれば、聞いている時もある」

裁かれる13の事件

©文藝春秋

 その裁判長が判決を読み上げていく。

 それも、どこか早口で。

 裁かれる事件だけで13もある。その事実認定と、被告人、弁護人の無罪主張に対して、検討を加えていかなければならない。先を急がないと、1日で判決の言い渡しが終わるかどうかもわからない。

 主文を後回しにした判決は、教団の成立からはじまって、時系列に沿って最初の殺人事件から検討を加えていく。89年2月に発生した最初の信徒殺害事件(田口修二さん殺害事件)、同年11月の坂本弁護士一家殺害事件、それから教団が武装化していく過程に触れ、サリンプラントを建設したこと(殺人予備罪)、教団で生成したサリンを使って引き起こした松本サリン事件、自動小銃製造、そして再度の信徒リンチ殺害事件(落田耕太郎さん殺害事件)にまでたどり着いて、判決の言い渡しは昼の休廷に入ってしまった。

この記事の画像