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「感じが悪い」と生きていけないこの社会

「異文化」を「感じの悪さ」に翻訳してしまう“この国のかたち”

2018/07/12

気心の知れた関係「だけ」を築こうとする

 私が最初に観たのは学校や保育園、地域で「節分のイベント」をやり、子供たちを招待したときに、きょとんとし、呆然とする外国から来た児童の姿でした。まあ、鬼だ豆だ、鬼に豆をまくと邪な気が祓われて一年健康に暮らせるんだよと説明されても理解できないのは間違いないんですよね。「鬼に豆をまくと家内安全らしい。なぜなんだ」「私に訊かれても困ります」風の。知るかよ。こっちが聞きたいわ。数年もすると、仕事でもご一緒している黒人男性(40代)が「俺が本物の鬼だぞー」とか黒光りツーブロック腹筋を輝かせて鬼役を買って出てくれるようになるわけですけど、やはり理解できないものを遠ざけようとする動きは抗いがたい。保護者・ママ友界隈でも、私などは半ば強引に仲良くなって楽しくやる「コミュ力」はあるわけですけど、やはり日本人同士の付き合いでも親が忙しいとか、人付き合いが得意でない人は外される傾向が強くなるわけです。

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 ある日、外国人の保護者が保護者同士の連絡網でやるLINEから外されたとかで揉めてましたが、両方から話をよく聞くと子供の手持ちの弁当の中身が臭いだかでいじめられ、いじめられた親が抗議したところエスカレートしたという残念な事例で困惑するわけです。まあ、子供からするとちょっとした違いで排除したりいじめたりというのは日常茶飯事で、それを見ている保育士さんたちが宥めたり、話を聞いた両親が受け入れてあげるよう促したりするのが本筋だと思います。いい歳こいた大人が、気にいらないことが起きて「こいつら本当に馬鹿なんだな」とか啖呵を切っている姿を見るとげんなりするんですよね。そんな奴にまともな人間いるはずないじゃないですか。ところが、よくよく話を聞いてみると「面倒にかかわりたくない」という親の姿勢が強く、文化の違いを乗り越えて一緒に楽しくやるよりも、文化の違いで起きる摩擦を煩(わずら)わしいことと思って積極的に回避し、気心の知れた子たちや家庭との関係「だけ」を築こうとする動きが強いようにも見えます。

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「日本の生活は楽しいけど寂しい」

 言われてみれば、大人の世界でもこじれそうな人間関係で問題回避をする動きは強く出るようで、お付き合いの深いコンビニや飲食チェーンの集合研修でご一緒した際に「外国人研修生に対する日本人の距離感」というのは感じたわけですよ。懇親会では私も気の毒に思って一人で食事をしている外国人に積極的に話をしに行くんですが、ほぼ全員が日本に来て一年ぐらい日本語もまあまあ上手くなったのに日本人の友達がなかなかできないと残念がっていました。ベトナムやフィリピン、マレーシアあたりからの若い男女が多かったんですけど、彼らの言う「日本の生活は楽しいけど寂しい」っていう感想を聞くと申し訳ない気分になります。まあ、私が「おじさんでも良ければ私と友達になろう」というと逃げていくわけですが。何だお前ら話が違う。まあそれはそれとしても、なんかこう、日本はなし崩し的に世界第4位の移民受け入れ国になっているにもかかわらず、せっかく日本がいいと言って来てくれた外国人に対して日本社会に受け入れたり、日本文化に親しんでもらって一緒にやっていこうという機運も機能も不足してるんじゃないかと思うわけですね。