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「かくれキリシタン信仰」が今でも残る長崎・生月島の不思議な風習

古市憲寿が『消された信仰』(広野真嗣 著)を読む

2018/07/21
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『消された信仰「最後のかくれキリシタン」---長崎・生月島の人々』(広野真嗣 著)

 洗礼者ヨハネ。キリスト教の聖人だ。彼の肖像画は多く描かれているが、日本の生月島(いきつきしま)に伝わってきた聖画はその中でも異色だろう。何せ、そのヨハネはちょんまげを生やし、着物を着ているのである。

 なぜこれほど珍妙な「洗礼者ヨハネ」が生まれたのか。種明かしをすれば、それは「かくれキリシタン」の信仰の中に発生した聖画の一枚だ。

「かくれキリシタン」とは、江戸幕府からの宗教弾圧を逃れ、密かにキリスト教を信じた人々のこと。ヨーロッパから切り離され、独自に信仰を発展させたものだから、本家のキリスト教とはかなり異質な信仰が誕生したというわけだ。

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 本書は、その「かくれキリシタン信仰」が今でも組織的に残る長崎県の生月島にスポットライトを当てたルポルタージュである。

 抜群に面白いのは、「かくれキリシタン信仰」の現状である。ある信徒は、自宅で御神体にオラショと呼ばれる祈りの言葉を唱えると同時に、立派な仏壇にも手を合わせるという。あれ、キリスト教って一神教じゃなかったっけ?