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「かくれキリシタン信仰」が今でも残る長崎・生月島の不思議な風習

古市憲寿が『消された信仰』(広野真嗣 著)を読む

2018/07/21
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「かくれキリシタン信仰」は消滅するのか?

 オラショも、もともとは宣教師が伝えた使徒信条などに原型があるはずだ。しかし弾圧を逃れた歴史の中で、摩訶不思議な呪文になってしまった。「アメマリヤ、アガラスサビンナ、ドウメス、(中略)アンメーイゾ、スーマリヤ」といった具合だ。

「アメマリヤ」(元は「アベマリア」?)、「アンメーイゾ」(「アーメン」?)など元の単語を推察できる箇所もあるが、信徒は意味をあまり理解せずにオラショを唱えているという。少し前まではテキストもなく、呪文のように暗記していたらしい。

 本書の目的は、これら「かくれキリシタン信仰」を本来のキリスト教からかけ離れた稚拙な習俗だとあざ笑うことではない。少し考えればわかるが、意味不明の呪文を暗唱することは生半可な努力では無理だ。たとえ「キリスト教」から遠く離れても、それは何かの信仰であることには間違いない。日本は無宗教の国と言われるが、本書を読んでいると「宗教」や「信仰」の発生を目の当たりにした気分になる。

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 しかし今、生月島の「かくれキリシタン信仰」は消滅の危機にあるという。しかもその理由は、宗教とは全く別の、この国が等しく経験したあるポジティヴな出来事によってだ。それが何かは本文を読んで確かめて欲しいが、この本は奇しくも「信仰」の始まりから終わりまでをきちんと考察したことになる。

 ところで著者の広野さんは猪瀬直樹事務所の出身。データ収集能力が素晴らしいのはもちろん、猪瀬さんと上手くやれたくらいだから、人柄もいいに決まっている。インタビュー術にも活かされているのだろう。主張が対立する大学教授と真正面から向き合うシーンは見所の一つだ。

「かくれキリシタン信仰」が今でも残る長崎・生月島の不思議な風習

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