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「クロマティの幻影」と戦った“笑わない男”ブラッドリーの生きざま

文春野球フレッシュオールスター2018

2018/07/12

※こちらは公募企画「文春野球フレッシュオールスター2018」に届いた約120本を超える原稿のなかから出場権を獲得したコラムです。おもしろいと思ったら文末のHITボタンを押してください。

【出場者プロフィール】南別府 学(みなみべっぷ・まなぶ) 東京読売巨人軍 37歳
 東京都出身。松坂世代。初の野球観戦で原のホームランボールが直撃……しそうになったことがきっかけで巨人ファンに。達川のコンタクトレンズを探したり、ガルベスが審判に向かってボールを投げないか心配しているうちに時は流れ、気がつけば中年間近。しかし年齢を重ねても、あの日見た原のホームランを忘れることはない。普段は「南別府学」の名で主に競馬についてのブログやツイートをしている。ツイッターIDは@20bepp_kita_20

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「笑ってあげなさい。笑いたくなくても笑うのよ。笑顔が人間に必要なの」(マザー・テレサ)

 マザー・テレサの言葉は彼の耳に届いていただろうか。

 1991年。陽気で人気者だった最強助っ人・クロマティの穴を埋めるべく、メジャー通算1058安打の実績を引っ提げて鳴り物入りで巨人軍に入団したフィル・ブラッドリー外野手。

 彼の笑顔を覚えているファンは多くはないだろう。なぜなら彼はほとんど笑わなかったからだ。

 クロマティなら満面の笑みでバンザイを連発する場面でも、彼は若干口角を上げる程度。その微妙な笑みは、当時小学生だった私にとって子供心にも不気味にさえ思えた。たとえ笑いたくない時でも笑っておいた方が人間関係が円滑になる……そんなコミュニケーションにおける小手先のテクニックには全く興味がない様子だった。開幕戦初打席初本塁打という華々しいデビューを飾りながらも、前年まで在籍したクロマティと常に比較され続け、「根暗」「チームに溶け込めてない」と揶揄された不運の男。そんな彼のイメージを決定付けた“事件”があった。

「根暗」「チームに溶け込めてない」と揶揄されたブラッドリー

札幌の悲劇、ヒーローインタビュー拒否事件

 1991年7月11日。札幌円山球場で行われた広島カープとの一戦は9回まで1ー3とリードを許していた。開幕からの連続セーブ日本記録更新中の大野豊がマウンドに上がると、球場はすでに諦めムード。そんな中、起死回生の逆転サヨナラスリーランをスタンドに叩き込んだのがブラッドリーだった。絶対的存在の大野から放った価値ある一発に、札幌の巨人ファンは狂喜乱舞。クロマティならヒーローインタビューでファンを盛り上げた直後、そのまま外野まで走り出しお得意のバンザイパフォーマンスは必至な場面。

 しかし、熱狂する札幌のファンを尻目に、ブラッドリーは意外な行動に出る。ヒーローインタビューを拒否し、一目散に帰りのバスに乗り込んでしまう。

 後年、この時の真相を「あの日打順を7番に下げられ、自分に腹が立ち、とてもお立ち台に上る気分になれなかった」とメディアに語ったが、そんな真相をファンは知る由も無く、ただただ「暗い選手」「ノリが悪い選手」「一刻も早くバスに乗りたがる選手」としての印象を決定付ける出来事となってしまう。

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