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広島・飯田哲矢「27歳の決断」 サイド転向した男の歩む道

文春野球フレッシュオールスター2018

2018/07/12

※こちらは公募企画「文春野球フレッシュオールスター2018」に届いた約120本を超える原稿のなかから出場権を獲得したコラムです。おもしろいと思ったら文末のHITボタンを押してください。

【出場者プロフィール】森田 和樹(もりた・かずき) 広島東洋カープ 27歳
 広島生まれのゆとり世代。2013年にlivedoor newsの編集スタッフをしながら、カープのコラム執筆を開始。14年のCS敗退後に「『緒方さんの監督就任』『マエケンの残留』『黒田さんの復帰』が実現したら、ライター業に専念する」と高らかに宣言した。なお現在は音楽関係の制作・マネジメント業務も行う。

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 最近気付いてしまったことがある。平成終了のカウントダウンが始まった今、“平成生まれ”というだけで「若いね〜」とチヤホヤされるような時代は、もう終わりを告げようとしているのだ。平成2年生まれの僕は平静を装いながらも内心焦っている。

 この前、ふと平成2年製造の10円玉が真っ黒に汚れているのを見て、きっと自分もこの硬貨みたいに輝きがなくなってきているんだろうな、って思えて悲しくなった。というか、これからもし結婚して、なんやかんやあって子供ができたとしても、その子はもう平成生まれじゃないのか。オーマイガー。

 そういった悩みを、30代未婚女性にぼそっと言ったら「昭和生まれの私は、平成に何もなく、次の年号を迎えようとしているんだぞ。平成ジャンプはいやだ!」と怒られた。かっとばせ、すっとばせ、平成。

野球選手らしからぬ優男 4年目左腕の飯田哲矢

「27歳って、なんかいろいろ考えちゃうよね」という話は、今年の年明けにもしていた。相手はJR東日本のグラウンドで自主トレ中だった広島東洋カープ・飯田哲矢投手だ。僕と同学年(1991年の3月28日生まれ)ということもあって、15年の秋季キャンプ取材期間中に一緒に食事したのをきっかけに仲良くなった。あだ名は哲(てっ)ちゃん。彼はプロ野球選手とは思えないほどの“優男(ヤサオ)”だ。たぶん、年齢の話にはそんなに興味なかったと思うが、「そうだね、考えちゃうね」と頷いてくれた。

 ちなみに、どれくらい“優男”なのかというと、「哲ちゃんって打者を見下したりとかしなそうだよね」って聞いた際に、「うーん……マウンドはグラウンドで一番高いから、まぁ見下ろしてはいるよ(笑)」と答えたくらい。

16年1月、JR東日本で自主トレをしていた飯田哲矢(左)と薮田和樹(右) ©森田和樹

 14年にカープに入団して、今年で4年目のシーズンを迎えている哲ちゃん。即戦力のリリーフ左腕として、ルーキーイヤーに16試合に登板するも、2年目以降は思ったような成績を残すことができず、一軍よりも二軍で過ごす時間の方が圧倒的に長かった。

「昨季はオープン戦から順調で、初めて開幕一軍に入ったけど、最初のスタートでつまずいて、次第にオープン戦で出せていた思い切りの良さがなくなってしまった。ファームに落ちてから、もう一度思い切ってやっていこうと思ったけど、うまく結果がついてこなくて、気持ちの弱さが目立ってしまった」

 今でも覚えている。17年4月28日のDeNA戦、ドラ1ルーキーの加藤拓也が4回途中4失点でKOされ、二死満塁から急遽マウンドに上がったのが哲ちゃんだった。その回は石川雄洋を遊ゴロに打ち取ってピンチをしのぐも、回またぎとなった5回に捕まってしまう。筒香嘉智から三振を奪ったまでは良かったが、その後は連打を浴びて3失点。スタンドから見ていても、引きつった顔をしているのがわかった。たぶん、野球選手にとって「優しい」というのは褒め言葉ではないのだろう。特に投手。マウンドでの表情は打者にも伝わってしまう。

「先頭打者を打ち取ったらポンポンと抑えられるけど、ランナーを背負ってしまうと窮屈になってしまっていた。あと、回またぎをしたときも、1イニングを抑えることができて、そこでホッとしてしまうのか、気持ちの乗せ方がうまくいかなかった」。今季の課題を「強い気持ちを持って、もっと大胆にいくこと」に定めた。

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