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小室圭さん「アメリカ留学3年」“戸惑い”の根底にあるもの

皇族の結婚をめぐるマスメディアの報道はどう変わったか

2018/07/13
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「海の王子」というキャラクターが全面に出た小室圭さん

 これは、結婚延期となってしまった秋篠宮家の長女・眞子内親王(26)と小室圭さん(26)の婚約報道の時にも同様であった。ただし、内親王と女王の違いからか、眞子内親王の時には小室圭さんの人となりが守谷慧さんよりも詳しく紹介され、記事や報道の量も多かった。また、眞子内親王と小室圭さんの婚約報道では、その後に週刊誌で様々な個人的な問題や小室家に対するバッシング報道がなされたためか、今回の守谷慧さんの人となりに関する報道のトーンは新聞各紙ともにやや抑制的と思われる。プライバシーにより配慮しているとも言えるだろうか。「海の王子」というキャラクターが全面に出た小室圭さんに対し、守谷慧さんに関する報道はその人格を比較的淡々と紹介するような記事になっているのも特徴だろう。

眞子さまと小室圭さん ©JMPA

 いずれにせよ、降嫁して私たち一般の人々と同じ地平に降りることを好意的に記しつつ、しかし、女性皇族が減少することによって公務を担う人々が減少していく問題点に言及するのが、近年の女性皇族の結婚をめぐる報道である。

昭和天皇の皇女たちはどんな家柄の男性と結婚するのか

 この特徴は戦後ずっと変化していないのだろうか。実はそうではない。戦後直後の様子を見てみよう。近代天皇制下では、天皇の娘である皇女は皇族と結婚する慣例にあった。しかし1947年に11宮家の皇籍離脱が実施され、また華族制度も廃止になったことから、昭和天皇の娘たちが誰と結婚するのかが注目を浴びることになる(長女の照宮成子内親王はすでに戦前に東久邇宮盛厚王に嫁いでおり、次女の久宮祐子内親王は夭折)。

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昭和天皇 ©文藝春秋

 三女の孝宮和子(たかのみや・かずこ)内親王は当初、本願寺法主の長男・大谷光紹(おおたに・こうしょう、いとこにあたる)との婚約内定が報道される(『読売新聞』1949年11月23日)。この記事で特に強調されている点として、孝宮が「主婦勉強に磨き」をかけていることがあげられる。つまり、慣例として皇族に嫁いでいた皇女が一般家庭に嫁ぐからこそ、これまで取り組んだこともないような家事もこなさなければならない。そうした思考がここに存在していたのだろう。こういった報道は、近年ではずいぶん少なくなったのではないか。おそらく、皇族の女性は「世間から外れている存在である」というイメージが薄れており、家事を女性のみが担うという前提が崩れかけているからではないだろうか。その点で変化が生じたのである。