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無二の作家が現実と幻想のあわいに描く世界

『魔法の夜』 (スティーヴン・ミルハウザー 著/柴田元幸 訳)

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©島袋里美
しばたもとゆき/1954年東京都生まれ。米文学者、東京大学特任教授、翻訳家。92年『生半可な學者』で講談社エッセイ賞を受賞。ミルハウザーの他にもポール・オースター、レベッカ・ブラウンなど翻訳多数。村上春樹氏との共著に『翻訳夜話』などがある。

 月の明るい夜、眠らない人々が家からさまよい出し、ウィンドウの中のマネキンはそっとまばたきする――。

『魔法の夜』の訳者、柴田元幸さんは7作のミルハウザー作品を手がけて来た。

「ミルハウザーという作家を誰に紹介したいかと考えた時に最初に浮かんだのは『普段あまり小説を読まない理系の人』でした。彼の小説の職人的緻密さ、描写の正確さは理系的思考に通じるように思います。本人もprecise(精密な)という言葉をよく使いますね」

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 生きているような自動人形、偏執的なコレクションの並ぶ博物館など、幻想的な空気と19世紀科学のような精緻さが併存する独特の作品世界は本国アメリカでも無二の存在だ。

「後継者のいない作家、そして現代の若手作家に非常に敬愛されている作家です。この10年程の間にアメリカの文芸誌は大きく様変わりしたのですが、73歳になる彼はコンスタントに作品を発表し続けていて、むしろ短篇の執筆量は増えているくらい。リアリズム一辺倒だった米文学に変化が訪れて、時代がミルハウザーに追いついて来た感があります」

 作家本人は「幻想文学と称されるのは嫌い」という。「実際に目に見えるものから始めて、現実を拡張させてゆき、地続きの不思議な世界を読み手に信じさせるように書くのです」と。

 今作でもその描写から夜の町の光景がまざまざと立ち上がり、月光を浴びて歩き回る感覚を味わえる。屋根裏部屋で未発表の小説を執筆し続ける男、他人の家に忍び込む仮面の少女団、命を宿したマネキンなどが過ごす一夜のシーンが積み重ねられるうちに、登場人物(と人形たち)のストーリーが交錯する中篇小説だ。

「物語的な広がりが必要になる長篇やスケッチのような短篇と較べて、中篇というのは一つの場所や時間を描き切るのに最適な長さで、ミルハウザー作品には中篇の傑作が多いです。次に翻訳する予定の“The King in the Tree”も中篇集ですしね」

 5月に初来日したミルハウザー氏は『魔法の夜』について「辛かったり悲しかったりする人々が一時的にでも慰めを得られる“夜”そのものを書きました。だから60年代のコネチカットを舞台にしてはいるけれど、いつ、どこにでも共通する物語です」と語った。

「作家を目指して孤独に書く男の姿は、つい自分と重ねて思い入れてしまいましたね。世の中とうまくいかない人たちの一夜の物語ですが、落伍者を美化するわけでもない、社会批判でもない、ただ最後にかすかな希望が見えればいい」

 1990年の初邦訳書『イン・ザ・ペニー・アーケード』以来、四半世紀にわたり交流のある柴田さんも今回の来日が初対面となった。

「完璧主義の人だからこわくて会えなかった(笑)。作品から想像される通りの几帳面な人で、他のアメリカの作家はたいがい2度目の手紙では『やあ、モト』とくだけるのに、彼だけは15年以上『拝啓 柴田様』という感じでしたから。でも来日して一緒に過ごした彼はとても温かな人柄で、鎌倉に行った時も薄暗い大仏の中に入って喜んだり、湯島天神のおみくじが出るからくり仕掛けを熱心に見たり、好奇心と観察眼が途切れない様子でした」

 ミルハウザー氏の朗読会、講演は即満席となった。

「日本でもファンがしっかりついている作家だと改めて感じられたので、これからは年1冊ペースで翻訳していきたいと思っています」

Steven Millhauser/1943年ニューヨーク生まれ。72年『エドウィン・マルハウス』(岸本佐知子訳)でデビュー。96年『マーティン・ドレスラーの夢』(以下すべて柴田訳)でピュリツァー賞を受賞。ほか『バーナム博物館』『ナイフ投げ師』など。本作は9作目の著書で、最新刊は“Voices in the Night”(2015)。

魔法の夜

スティーヴン・ミルハウザー(著),柴田 元幸(翻訳)

白水社
2016年5月21日 発売

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