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“講談界の超新星”神田松之丞が語った「芸人が終わるとき」

テレビっ子講談師・神田松之丞インタビュー #2

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『高校教師』という箱を開けてしまった

―― ドラマは観られてましたか。

松之丞 ドラマもいっぱい観ましたよ。でも僕ね、忘れちゃうという欠点があって(笑)。何でしょうね……、野島伸司の『高校教師』。あれはズキンときましたね。あの時って俺、中学くらいかなぁ。「近親相姦」というのがよくわからなかったのに、なんかすごいものを知ってしまったみたいな感じがありましたよね。なんちゅう箱を開けてしまったんだっていう。

 

―― 金曜日の夜10時に(笑)。

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松之丞 そんなふうに、テレビに知り得ないことを教えてもらうというか、「背伸び」させられることは好きでした。ドラマはベタなドラマも好きだったし、大河ドラマも嫌いじゃなかったし、なんでも観てましたね。ただ、大学時代に映画を観るようになって、テレビから離れるんです。落語通いながら、名画座で2本立て観る生活になる。

―― 映画だと、どんなものを観たんですか。

松之丞 1950年代60年代の日本映画。オールナイト4本立てとか、目薬さして観てました。とにかく吸収しよう、吸収しようと。でも今考えるとね、若さがあったからできる行為なんだなって思います。あと、役者の全盛期が知りたくて観るようなところがありましたね。

 

渥美清さんは芸人からしても、本当に興味深い人

―― 全盛期を観ていく感じ?

松之丞 例えば今テレビドラマで出てるおばあちゃん役のこの人が、昔どんな人だったのか、どんな役をやっていたのか知りたくなって、出演映画を観るような。そうすると、今のドラマの見方が変わるんですよ。

―― なるほど。

松之丞 ドラマが現在で過去が映画みたいな感覚ですね。文芸坐というものをすごく信頼してたので、この人たちが案内してくれるものはいいに違いないと思いながら、同時並行で自分でも勉強して調べて、みたいなことやっていました。なので、いわゆるサブカルの基礎はテレビにあります。テレビから映画にいって、本にいって奥深いところを知っていく。

 

―― この人をテレビと映画を往還しながら深く追ったなという人は誰なんですか。

松之丞 若尾文子とか、渥美清とか。渥美さんは、後年は映画の寅さん一本になっていったかもしれませんが、小林信彦さんの本とかで読む人物像と、寅さんが当然違っていて。若いうちに肺かなんかを患って死ぬって言われてたところの死生観から、浅草芸人の性を感じたり。寅さんで国民的スターになってるんだけれども、ある種虚像を演じ続ける自分を持っているような人だったと思います。その存在のありようって、プロレスに近い気もしています。渥美さんは芸人からしても、本当に興味深い人だと思ってます。