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きゃりーぱみゅぱみゅ“生みの親”が語る「女の子のことなんて、わからないままがいい」

アソビシステム・中川悠介代表インタビュー#1

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計算してプロモーションする世界とは違ってきている

――会社設立当初からご一緒だった音楽家の中田ヤスタカさん、Perfumeのプロデューサーとしても活躍されている方ですが、その中田さん含めて「きゃりーぱみゅぱみゅのための戦略」みたいなものはどう考えたんですか?

中川 その質問をはぐらかすつもりはないんですけど、何かを計算するということはなかったんです。というか、計算しても仕方がないかなという気持ちがありました。今から8年前とはいえ現在と同じで、SNS含めてどんな小さな情報でも何かをきっかけに爆発的に拡散することもある。それって、従来の「朝刊に広告を出す」とか「何曜日何時のテレビに露出する」とか、計算してプロモーションする世界とは違ってきているのかなと。そうであるならば、考えすぎるのはやめて、自分たちの感覚やノリを優先したほうがいいものが生まれるんじゃないかって。

パリ公演も成功させた、きゃりーぱみゅぱみゅ ©getty

――では、どういうノリだったから「きゃりーぱみゅぱみゅ」をメジャーにできたと思いますか?

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中川 「きゃりーぱみゅぱみゅ」というプロジェクトをやるぞ、というノリだったからですかね。つまり、きゃりーは周りの大人に「作り出される」アーティスト、振り付けされた人形ではなかった。彼女の周りには音楽の中田ヤスタカ、美術の増田セバスチャン、それにスタイリスト、ヘアメイク、さらにライブになると照明、音響……様々なクリエイターたちがいるわけですが、きゃりーもまたアーティストとしての役割を担うプロジェクトメンバーの一員だったんです。だから、今も変わりませんが、本人けっこう意見を言うんですよ。

――メジャーデビュー作品の「PONPONPON」(2011年)はiTunesで世界同時配信でしたね。

中川 あとPVをYouTubeでフル尺オープンにするっていうのは結構新しかったと思いますね。

 

――楽曲を無料で全部見せてしまうというのは、当時だと今以上に「もったいない」っていう雰囲気でしょうね。

中川 よくレーベルが許してくれたなと(笑)。ただ、海外に絶対ウケるという強い信念があったんです。PVの色彩、展開、世界観は日本人が作り出す繊細さに満ちていたので、日本を愛する海外の人たちにはきっと届くはずだと思ってました。

国内外同時に売れ出した理由

――デビュー早々、ワールドツアーも始まります。iTunesでの配信、PVのYouTubeフル尺オープンと、それこそ「世界戦略」という言葉を使いたくなる仕掛けを考えていたように思いますが……。

中川 いや、エンターテインメントって、いいコンテンツだったら自然と世界と地続きになっているものだと思います。例えばブルーノ・マーズはアメリカの人だけじゃなくて、日本の人も、台湾の人も、イギリスの人もみんな聴くじゃないですか。だから別に「戦略戦略」していたわけではなくて、日本だけでなく世界に通用するところを見せたいっていう、ある意味で素朴な攻め方しか考えていませんでした。

――ワールドツアー前に、何度か海外公演をされているんでしたっけ?

中川 ロサンゼルスのライブが初めての海外で、そのあとパリで開催された「Japan Expo」の「HARAJUKU KAWAii!!!!」というイベントで1万人以上の集客を経験したんです。それでチャンスがあるかもしれないと思ってワールドツアーの準備に入っていたんです。するとその2012年末に紅白歌合戦にもお呼びがかかって……。

 

――国内外同時に売れ出したわけですね。

中川 今から考えると、紅白出場直後、2013年の2月からワールドツアーができてよかったと思っています。やっぱり、紅白に出るというのは日本ではある種の到達点ですよね。だからこそ「その年の人」で終わらないようにしたかった。

――アソビシステムにとっても、ワールドツアーというのは初めての「仕事」だったのですよね?

中川 ええ、なんかサーカス団みたいでしたよ、俺たち(笑)。みんな荷物持って、ゾロゾロ歩いて。8カ国回ったんですが、ヨーロッパはべルギーのブリュッセル、フランスのパリ、イギリスのロンドンに行きました。ベルギーのライブハウスの周りが、ちょっと怖いところで今でも覚えてます。