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【鼎談書評】食いしん坊で臆病者――妹が見た姉の素顔

『姉・米原万里 思い出は食欲と共に』 (井上ユリ 著)

source : 文藝春秋 2016年8月号

genre : エンタメ, 読書

お便所に3回落っこちた

中島 小さい頃の、妹しか知りえないエピソードがどれもおもしろい。私は今日、大岡山にある東工大で講義をしてきたのですが、万里さんが幼い頃住んでいたのも大岡山。本の最初に、好奇心旺盛な万里さんが、便器の中を覗き込んでいるうちに「お便所に3回落っこちた」とあったので、「ああ、この近くで落っこちたのか」と思いながら歩きました(笑)。

山内 私は畑の肥溜めに足から落ちた弟を引っ張り上げた経験があるけど、便器に落ちちゃうことはさすがになかったな(笑)。

中島 万里さんの映像や文章からは、力強い印象と同時にふっとした影を感じることがあったのですが、本書を読んでその理由がわかった気がします。子どもの頃から、ひじょうに大胆で奔放な部分と、繊細で臆病な部分が同居している人だったんですね。食いしん坊なイメージがある万里さんですが、妹の目には「万里は知らないもの、食べなれないものがダメだった」と映り、「新しい事態にぶつかると、ちょっと怖じけて、二の足を踏んだ」と冷静に観察している。意外でしたが、その両面が、作家・米原万里を生みだした。

 建築家を夢見ながら逡巡し、2年間浪人したあとに東京外国語大学をロシア語で受験する時も、「ロシア語ができるのは、たまたま親の都合で海外に住んだからで、自分の選択や努力の結果ではない」と傷ついたというのは家族だから書けること。

片山 その繊細さが、万里さんを魅力ある物書きにしたんですね。外見の印象では強さの方が目立ちましたが。

山内 私は国際会議やテレビなどで何回か万里さんに同時通訳をしてもらったことがあり、個人的にも多少は知っています。本を読むと雄弁なようですが、確かに実際の米原さんはあまり多くを語る人ではありませんでした。「ふっと自分の世界に入り込んで、テコでも動かない。何を考えているんだろう? と思うことがある」とユリさんが書いている通りの印象です。

 後に作家になるように、彼女の語学センスは素晴らしい。ロシア語から日本語へ訳すときに「ここでひとつ、褌を締めなおして……」とぱっと出てきたのは有名なエピソードで、思わずみんなが通訳ブースの方を振り返った(笑)。彼女はロシア語、それからプラハに住んでいたのでチェコ語もできたのでしょう。加えて、日本語も忘れないようにしっかりと両親から教育を受けていた。

中島 お母さんの印象も鮮烈です。プラハで以前習っていたフランス語に磨きをかけ、通訳として子どもを残してヨーロッパ中を飛び回る。僕はお母さんについてもっと知りたくなりました。

片山 お母さんがいないときに、お父さんがシチューを作ってひと月食べ続けたとか、姉妹のエッセイのなかでも、食事にまつわる話は詳細かつユーモラスです。

山内 ソビエト学校では1日6食というのには驚きました。イスラム世界の人たちもよく食べますが、6回とは聞いたことがない(笑)。イタリアで料理を学んだユリさんですから料理の記述は秀逸で、同世代なら頷ける箇所がそこかしこに出てきます。プラハで親しんだライ麦パンを、銀座のドイツレストラン「ケテル」の隣で見つけたとありました。もうなくなった「ケテル」のビアレストランはソーセージが絶品で、私もよく通っていました。この本は食べ物とレストランの情報も、まことに素晴らしい。

片山 旧共産圏で育った米原さんは、戦後日本を外からの目で見られた。でもその一方で、鳥取の旧家の匂いも身についている日本人なんですね。このバランスが、異次元的発想に富みながら地に足も着いている、まことに不思議な“米原ワールド”を生み出したのでしょう。戦後日本の物書きでは空前絶後の独自な存在ですね。

姉・米原万里 思い出は食欲と共に

井上 ユリ(著)

文藝春秋
2016年5月14日 発売

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