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三冠王・落合博満を生んだ村田兆治の“2球”

文春野球コラム ペナントレース2018

2018/08/26

 帰り際の駐車場で落合博満氏は見送った球団関係者に「ありがとう。楽しかったよ」と告げて、東京ドームを後にした。ロッテ球団創設50年目を記念して8月21日に東京ドームで行われたライオンズ戦で同氏は村田兆治氏と共に試合前イベントに登場した。投打のレジェンド揃っての登場にスタンドは大歓声に包まれた。落合氏は86年オフにトレードで中日ドラゴンズに移籍して以来、32年ぶりの古巣のユニフォーム。懐かしの戦闘服に袖を通すと感慨深げにコメントをした。

「これが自分の原点。ドラフトでパンチョ伊東さんに『落合博満、内野手、東芝府中』と言われて始まったプロ野球人生。あの時、ドラフト3位でロッテに指名をしてもらえなかったら間違いなく今の自分はいません。最初の球団はやっぱり格別ですよ。まさか、このユニフォームを着てグラウンドに立つ日が来るとは思っていなかったです。本当にありがたいです」

村田兆治氏(左)と落合博満氏(右) ©千葉ロッテマリーンズ

村田兆治氏との思い出話

 イベント後、駆け付けた報道陣からは様々な質問が飛んだ。「一番の思い出は?」と問われると「一番とか二番とか、そんなに簡単なものではないです。色々な出会いがあり、色々な人に色々な事を教わりました。その積み重ねの歴史がある。簡単には決められないですよ」と回答を保留した。そして続けた。「初出場はピンチヒッターだったのは覚えている」と口にすると続けざま、「最初のホームランは山内新一さんから。それがプロ1号」と懐かしそうに振り返った。そしてイベントを共にした偉大なる先輩の思い出話を披露してくれた。

「プロの投手の凄さを教えてもらったのは間違いなく村田さんです。一年目の練習の時に対戦をしたことがあります。2球投げて、2球ともにバットを折られました。そんな経験は初めて。あのボールはいまだに忘れられない。これ以上のボールはないと思った。そのボールを見てからゲームでは(対戦する投手のボールは)打てると思った。あの2球から身を持ってプロのボールを学んだんです。あえて思い出をといえば、これになるのではないでしょうか」

 その村田氏は始球式にも登場し伝説のマサカリ投法を披露。112キロを計測したボールに悔しそうな表情を浮かべた。「ダメだね。もう少しウォーミングアップをすればよかった」。68歳にしてなおボールを一度、握れば血が騒ぐ。その姿を落合氏は「あの人らしいよね」と言いながら嬉しそうに見つめた。