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昭和の革新右翼運動をリードした知性

『満川亀太郎 慷慨の志猶存す』 (福家崇洋 著)――鼎談書評

source : 文藝春秋 2016年7月号

genre : エンタメ, 読書

 

片山 ついに満川の評伝が出たか! と狂喜してしまいました。満川亀太郎は、昭和の革新右翼運動の大本になった「猶存社」の三尊のひとりと言われました。他の2人は北一輝と大川周明ですよ。ところがどんな人かとなると研究が乏しかった。著書も『三国干渉以後』以外はなかなか読めない。私は学生時代に、満川の主著とされる『奪われたる亜細亜』を入手できなくて弱りました。

 この評伝は、そういう永年の飢えを癒す1冊です。少年時代からの日記や、家族や仲間に宛てた書簡など豊富な資料にあたり、1936年に49歳で亡くなるまでを詳細に追いかけています。とにかく活動範囲が幅広く、左翼にも右翼にも分け入っているので、北や大川はむろんのこと、社会主義者の堺利彦、平凡社の下中彌三郎や東方会の中野正剛や建築家の伊東忠太など、多彩な名前が乱れとびます。満川の広がりからこそ見える日本近代史がありますね。

山内 満川は、北や大川を太陽とすれば、月のような人物です。あまりにも強烈なカリスマ性を持っていた2人の知名度の高さに比べ、満川を知っている人は一握りにすぎないでしょう。この本でもその印象は変わらず、国家改造運動を引っ張った独創的な社会運動家というより、堅実な組織人の面がよく伝わってきます。私はむしろ、教育改革のリーダーとして評価したいと感じました。

 30年にアジア解放を担う人材育成のため興亜学塾を設立したり朝鮮女子学寮の創設を支援したりと、私教育にたいへんな熱意を持って取り組んでいます。残念ながら経理や経営能力に欠けていたようで、たいていは赤字に陥ってしまうのですが。

井上 かなり若い頃から、教育については関心を抱いていますね。旧制中学に通っているとき、自分の学校に閉校命令が下されると知り、文部大臣に直接陳情しようと、仲間たちと京都から東京へ向かった話には驚かされました。「嗚呼余等ハ全校四百余名ノ運命ヲ双肩ニ……」と熱く日記に記していますが、現代では、とても考えられない。

 ひじょうに細かく満川の人生を追っているので、彼が一国社会主義の理想を持った様々な人と出会いながら思想を深める経緯がよくわかります。ベースに、社会の平等を求める社会主義の志があるんですね。それがどうやって右傾化していくのかが興味深い。たとえばフランス革命でも、民族主義がもっとも高揚するのは革命が左に傾いた時なんです。