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観客席から「殺すぞ」 松井秀喜「5打席連続敬遠」は“事件”だった【夏の甲子園100回! ベストシーン】

1992年 明徳義塾3-2星稜

2018/08/11

今年で第100回を迎えた“夏の甲子園”。
その 100年を超える歴史は名勝負の歴史でもあります。波乱・衝撃、旋風、怪物、ライバル、そして大逆転・・・・・・。
「甲子園」というフレーズだけで、さまざまな場面がよみがえってきます。
そのなかから、もう一度振り返りたい“ベストシーン”をご紹介します。
【1992年(平成4年) 第74回 2回戦 明徳義塾[高知]3-2星稜[石川]】

 

『夏の甲子園 名勝負ベスト100 (文春MOOK)』より

◆◆◆

 5回表、一死一塁で迎えた松井秀喜(元ヤンキースほか)の第3打席。明徳義塾の先発投手・河野和洋が4球続けて外角に大きく外れるボール球を投げた時、アルプススタンドで声援を送っていた松井の父昌雄さんは「これは大変なことになるかもしれん」と呟いたという。

試合3日前に伝えられた作戦

 平成4年夏の甲子園。超高校級スラッガー“ゴジラ”松井を擁して初優勝を狙う星稜は、初戦で長岡向陵(新潟)に11-0と圧勝。2回戦で明徳義塾と対戦する。

 明徳義塾からすれば、当然「松井対策」が勝負のポイントになる。そこで馬淵史郎監督の出した結論は、松井との勝負を徹底的に避け星稜打線を分断するという作戦。選手たちに伝えられたのは試合3日前のことだ。ただ具体的な方法の説明はなく、先発を任された河野には、「勝負しない」という馬淵の言葉の意味が今ひとつよくわからなかったという。

 試合が始まり、松井の打席のたびに「逃げとけ。歩かせ」と指示が出た。最初は「ビビってストライクが入らなくなったフリをしろ」と笑いながら言われていた。だから捕手を座らせたまま、外角に外れるボールを投げていた。第1打席は二死三塁、第2打席は一死二、三塁とともに一塁が空いた場面だったので不自然ではなかった。だが第3打席あたりから、星稜の選手も観客も何かを察知したのか、球場全体の空気が変わっていく。

明徳義塾の先発は背番号8を付けた「外野手兼投手」の河野和洋 ©共同通信社

 興奮した観客が叫んだ「殺すぞ」

 冒頭の第3打席を経て、第4打席は二死走者なしの場面。河野が自ら捕手に「もうバレてるから立て」と指示して、あからさまに敬遠した。スタンドは高校野球ではあまり馴染みのないブーイングに包まれ、興奮した観客がベンチの上まで来て「殺すぞ」と叫んでいた。

 とはいえ、この作戦は大きなリスクとの背中合わせだった。実際に3回、5回には松井を歩かせた後にスクイズとタイムリーヒットで1点ずつを失っている。それでも最少失点で切り抜けたという意味では成功だった。

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