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『大家さんと僕』矢部太郎の育て方──絵本作家の父・やべみつのりが語る

絵本作家・やべみつのり インタビュー #1

note

はじめて出版した絵本は、長女の成長を描いた絵日記がもとに

――東村山市にはいつ頃からお住まいなんですか?

やべ 僕は倉敷の小さなお寺で育ちました。広島の自動車会社の宣伝部に就職して、新聞広告やポスターなどの印刷原稿を作っていたんです。でも、東京に誘ってくれた詩人の友人のすすめもあって退職しました。23歳くらいで上京して、27歳で同郷の女性と結婚することになりました。独身のあいだは、野沢や高円寺にもちょっといたことがあります。結婚をきっかけに、小平市の小さい一軒家で2~3年暮らして。東村山市に引っ越した年、太郎が生まれているから、だいたい40年です。

 

――上京されてからは、どんな日々でしたか。

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やべ フリーのイラストレーターとしてなんとか食べていたんだけど、行き詰ってしまった。そんな時に結婚して、長女が生まれました。実はね、はじめて出版した絵本『かばさん』(こぐま社)は、生まれたての娘が少しずつ大きくなっていく様子を毎日夢中になって描いた絵日記がもとになっているんですよ。僕は1歳の頃から毎年、手作りの絵本をプレゼントしてたんです。3歳の時にあげたのが『わたしとかばさん』というタイトルの、わら半紙にボールペンで描いて色鉛筆で色をつけた簡単な絵本でした。

絵本『かばさん』

――絵本『かばさん』は、女の子がお父さんと動物園へかばを見に行くお話ですね。

やべ このお話は、娘と一緒に上野動物園へ行った1日のことを描きました。1977年に出版したんですけど、あまり売れなかったんですよ。最近ではイクメンとか、育児パパが出てきたでしょ。でも、その頃はそんな時代じゃなかったし、お父さんが登場する絵本も少なかった。転機になったのは、赤木かん子さんという児童文学評論家の方の書評です。「このお父さん、地味で平凡でちょっと太っちょで風采なんてぜんぜんあがらないんだけど、こういうのをみてしまうと、そうだよ、男は顔じゃないぜ、と心の底から思ってしまえます」 と書いてくださって、本当にうれしかったですね。長らく品切れになっていたけど、こぐま社から絵を描き直して再版されることになって、それからは売れるようになったんですよね。

 

――太郎さんの絵日記もつけていたんですか?

やべ ありますよ。娘の時は仕事もせずに、ひたすら絵日記を描いていたようなものでしたが、太郎が生まれた年は、ちょうど四谷の造形教室「ハラッパ」を主宰しはじめたころだったこともあり、冊数は少ないんですけどね。保育園の送り迎えは僕がしていたので、「連絡ノート」なども残してあります。 そういうものを見返しながら、お父さんと男の子のお話を描けないかと、しばらく考えているんです。