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堀川 惠子
2016/11/17

武器ではなく命の水を~医師・中村哲とアフガニスタン

旬選ジャーナル 9月10日、NHK「ETV特集」

source : 文藝春秋 2016年12月号

genre : ニュース, メディア, 国際, テレビ・ラジオ

堀川惠子氏

 久しく、良質な番組を観る爽快感を味わっていなかった。衝撃が大きかったのは、それだけが理由ではない。番組冒頭、干ばつで枯れ果てたアフガニスタンの荒野が、緑の大地へと変貌する様を見せつけられ、テレビの前に釘付けになった。NHK・ETV特集『武器ではなく命の水を~医師・中村哲とアフガニスタン』の話である。

 中村哲さんの名は広く知られている。私の知識は、アフガン難民に寄り添っている医師という程度のものだった。だが中村医師は二〇〇三年、白衣を脱ぎ捨て、作業着で重機を操縦していた。枯れ果てた大地に「用水路」を引くためである。

 二〇〇一年の同時多発テロ以降、歴史的干ばつに見舞われていたアフガンに、アメリカ軍による報復攻撃が始まった。飢餓に彷徨(さまよ)う四百万もの人々の頭上に、爆弾が降り注いだ。大量の難民が発生、赤ん坊を洗う水もなく、小さな命が次々に失われていく。若者は生きるため、アメリカ軍やタリバンの傭兵となった。

 中村医師は「悲劇の背景にあるものを絶たねば」と立ち上がる。大地に水を引ければ、植物は育ち、農業で自立できる。食うに困らず家族を持てれば、好きこのんで戦争に加担する者など誰もいない。アフガンには、医師百人を呼ぶよりも、用水路一本が必要だというのである。

 中村医師は巨石を一つずつ、近くを流れる大河、クナール川に投げ入れる作業から始めた。まずは、川の水を用水路に引きこむ堰を作るためだ。迸る流れは、巨石もろとも容赦なく流し去る。象に挑む蟻のごとく、無謀な取り組みに思えた。

 用水路と言っても、日本で見かけるようなコンクリートで固めた代物ではない。壊れても地元の人の手で修繕できるよう、針金で周囲を覆い、その中に石を積んでゆく「蛇籠(じゃかご)」という古来の工法だ。気が遠くなるほど手のかかる作業だが、地元の人たちの石工さながらの働きで、蛇籠の壁はみるみる伸びていく。

 着工から七年、総延長二五キロの用水路が完成。堰が開放されると、大河から流れ込む水が、干からびた茶褐色の大地をじわじわと潤していく。それを見守る中村医師そして人々の希望に満ちた眼差し。もう下手なナレーションなどいらぬ世界である。

 やがて大地は緑の小麦畑に変貌し、黄金の稲穂が風に揺れた。「まさか砂漠で稲刈りが出来るとは。人に話しても信じてもらえないんだ」と笑う若者は、鎌を片手に額に汗を滲ませていた。彼の脳裏には、戦地に赴くことなど浮かびもしないだろう。一本の用水路は五つの村、十万人を救ったという。

 日々の報道で、アフガンといえばテロの巣窟のような恐ろしい響きがある。実相は、「瀕死の小国」だ。その過酷な現実を、映像は淡々と映し出した。制作会社のカメラマンが一九九八年から取材を重ね、撮影した映像は六百時間を超えるとか。奇跡のような取り組みに粘り強い取材が伴走し、貴重な記録となった。

「テロとの戦い」は続いている。アメリカやロシアによる殲滅作戦、テロによる更なる報復と、負の連鎖に終わりは見えない。去年一月、日本も「テロと戦う国々」に二億ドルを拠出。その報復として、ジャーナリストの後藤健二さんらがイスラム国に処刑された。事件は、生々しい記憶として今も私たちの胸を抉る。

 中村医師が身を挺して見せた、地道な活動。もし国家がこれに支援をすれば、より多くの命を救うことができるだろう。武器ではなく命の水を――。真の戦いとは、どういうことか。対テロ戦争に明け暮れた十六年目の秋、番組は新たな気づきを与えてくれた。