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17歳の大谷翔平が号泣した“一度きり”の夏【夏の甲子園100回! ベストシーン】

2011年 帝京8-7花巻東

2018/08/13

今年で第100回を迎えた“夏の甲子園”。
その 100年を超える歴史は名勝負の歴史でもあります。波乱・衝撃、旋風、怪物、ライバル、そして大逆転・・・・・・。
「甲子園」というフレーズだけで、さまざまな場面がよみがえってきます。
そのなかから、もう一度振り返りたい“ベストシーン”をご紹介します。
【2011年(平成23年) 第93回 1回戦 帝京[東京]8-7花巻東[岩手]】

 

 

『夏の甲子園 名勝負ベスト100 (文春MOOK)』より

◆◆◆

 平成21年夏、菊池雄星(現西武)を擁する花巻東が甲子園で旋風を巻き起こした時、すでに「来年、また凄いのが入学してくるらしい」と評判になっていた。大谷翔平(現エンゼルス)のことだ。入学後すぐに頭角を現し、190cmを超える長身に「ダルビッシュ二世」と呼ばれるようになった。

翌年のセンバツには戻ってきたが、3年の夏は岩手県大会決勝で敗退。甲子園の土を踏むことはなかった ©共同通信社

肉離れで投げられなかった“背番号1”

 その大谷が初めて甲子園の土を踏んだのが2年生の夏。すでに150km近い球速を叩き出していたが、夏前に左足太腿を肉離れ。夏の岩手県大会は背番号1番を付けながらほとんど登板することはなく、外野手として“打”に専念。4割以上の高打率を残していた。また、この年の3月、東北地方は東日本大震災に見舞われた。花巻東の部員の中にも家族が被害を受けた者がいた。「被災地に勇気を与えたい」という特別な思いを持っての甲子園だった。

 初戦の相手は優勝候補の一角でもある帝京。先発のエース伊藤拓郎(元DeNA)は、1年生の夏に甲子園で148kmを出し華々しくデビュー。大谷と同じように「怪物」と呼ばれた逸材だった。

 試合は追いつ追われつのシーソーゲームとなる。初回、帝京が花巻東の先発小原大樹を攻め2点を先制。その裏、花巻東が伊藤の立ち上がりの制球の乱れを突き2点を返して追いつく。2回、4回と帝京が追加点を挙げ3点差とすると、4回裏、花巻東は3安打に四死球を絡め一気に3点を挙げて再び追いつく。