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「こども目線」で社会を描いた新たな純文学

『学校の近くの家』 (青木淳悟 著)――鼎談書評

source : 文藝春秋 2016年4月号

genre : エンタメ, 読書

 

竹内 僕は今、小学校を作っているんです。1校目は来年開校予定で、「国語+英語+プログラミング言語」のトライリンガル教育をする小学校。ですから、「三島賞作家による前代未聞の〈小学生小説〉!」という本書の帯に反応してしまいました。主人公は自分が通う小学校の前にある家に住む5年生の男子・一善くん。本書は、小学生の視点を通して、クラスの友人たちや母親と担任の先生の関係など、周囲の世界が描かれている純文学作品です。

 僕は子供の頃、鎌倉にある母親の実家に預けられていたのですが、学校の隣でした。チャイムが鳴ってから家を出ても間に合うなどメリットがある一方、困ったことも多かった。最も閉口したのは夏休みです。先生に「毎日、花壇に水やっといて」と言われてしまう(笑)。

山内 本書に登場する学校の先生はプリントを作ってくれたり、何でも手取り足取り助けてくれる。懇切丁寧ですね。昔の先生はこんなに優しくなかった(笑)。戦争経験がある先生も普通にいましたからね。私の中学校の数学教師は太平洋の海戦で軍艦が沈没、数十時間漂流した元海軍の下士官。とても読めない汚い文字を黒板に書き、「ダーン!」と叩いて「分かったな!」という教師もいた。あの頃のような先生は、当然この学校にはいない。

純粋数学に似た世界

片山 実は、今、「こども小説」は純文学の中でけっこう流行っています。やはり作家は世の中を全体的に書きたい。しかし現代は、政治も経済も社会もあまりに複雑で、昔のように容易に小説に収まらない。そこで「こども小説」に、言葉は悪いかもしれないけれど、退却する傾向がある。つまり「こども目線」でこどもにとっての社会全体、すなわち家庭や学校を書く。それなら今の作家にもアプローチしやすい。

 本書には「文科省の教育指導」や「宮崎勤事件」など、大きな社会の話題も入っていますが、目線や価値観はあくまで小5。小学生の気持ちで書くことで、誰しも歩んできた道を通じて読者を納得させられるかもしれないというわけです。

竹内 小学生の完全なる日常を描こうと著者は工夫していますよね。

山内 しかし、「小学生小説」とはいえ、小学生が読むわけではない。対象はあくまでも大人。ややすれた年配者が本書を読むと、正直、「大人がよくこういうことを書きますね、あなた……」と思うわけですよ(笑)。ですが、この不思議なギャップが何とも言えず面白い。子供の目線で描ける純文学の登場は、文学でも時代が変わったことを象徴しているのかもしれません。

片山 昔は小説のジャンル分けはある程度ハッキリしていました。ところが今は「純文学」の中身も実質的にはSFや少年物や通俗小説が混在している。これは文学の転成期なのか、もしかして滅亡時代のあがきなのか(笑)。

竹内 著者は或るインタビューで、本作を書いた経緯をこう話しています。他の作家の「こども小説」を読んで刺激を受けた。そして、〈自分も小学校を舞台に小説を書きたいな〉と思った。かつてとは、小説のテーマの選び方から根本的に異なるのでしょうね。実験的というか……。

山内 「文学を書くことのモチベーションや出発点とは何なのだろう」と考えてしまいました。私にとっての文学とは人間が抱く「やむにやまれぬもの」の発露です。私は知人の作家に「小説を書いてみませんか」と言われたことがある。勿論、人生の中で書きたい小説のテーマがないこともなかった。しかし小説を書こうとはついぞ思いませんでした。それだけ文学というものは敷居が高いものだったのです。昨年亡くなられた作家の車谷長吉さんと学生時代に同じアパートに住んでいた知人の話では、朝から晩までいつ部屋を覗いても、正座してグーッと床に置いた原稿用紙を睨んでいたという。かつての文学にはこういう鬼気迫る「何か」がありました。しかし、今は「やむにやまれぬもの」があって小説を書くといえば、学生たちに笑われる。東大教養学部には昔芥川賞を取った先輩たちが習作をのせた雑誌や「文学賞」がある。年々応募者が少なくなるから、意欲作を書いてくれよ、と私は自治会や学友会に何度も指摘したことを思い出します。

片山 ポストモダン以降の特徴と言えると思いますが、現代の多くの小説家はクリエーター、ゲームのデザイナー的発想で書く。著者にもそんなところがあるでしょう。「鬼気迫る」のとはだいぶん違いますね。

竹内 純文学は、理系で言えば「純粋数学」に似た非常に閉鎖的な論理を持つ世界のように見えます。両者とも、昔から一般的には理解されにくい“理論”によって価値判断がなされてきました。しかし、時々、本当にすごいことも起こるんです。純粋数学はIT技術と合わされば、第4次産業革命の中核を担うアルゴリズムを生み出す可能性があると言われています。

 純文学の世界では、「読者が減った」と言われていますが、動物界でも、危機に瀕した種は必然的に進化せざるを得ません。そうしないと絶滅してしまいますから。純文学の世界で、新たな地平を切り開いて進化していこうとする先人の1人が著者なのだと思います。

学校の近くの家

青木 淳悟(著)

新潮社
2015年12月22日 発売

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