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60年安保闘争のヒーローはその後どう生きたのか

『唐牛伝 敗者の戦後漂流』 (佐野眞一 著)――鼎談書評

source : 文藝春秋 2016年11月号

genre : エンタメ, 読書

 

片山 ノンフィクション作家の佐野眞一さんによる、60年安保の全学連委員長、唐牛(かろうじ)健太郎の評伝です。北は北海道の紋別、南は与論島や喜界島。流転の人生を追っています。

 安保闘争がピークを迎えていた60年4月、唐牛は国会前の大群衆の前で装甲車に飛び乗り、「諸君! 自民党の背後には一握りの資本家がいるに過ぎない。しかし、我々の背後には安保改定に反対する数百万の学生、労働者がいる」で始まるアジ演説を行ない、「時の人」になりました。ところが国会突入を謀ったデモを指揮したとして逮捕され、闘争の終局を拘置所で迎える。その後は居酒屋の亭主になったり、漁師になったり。そして47歳で早世して伝説となる。挫折者の栄光といいますか。時代が行きづまって挫折する人が増えると唐牛が繰り返し蘇ってくる。そんな気もします。

宮家 私は53年生まれで、一浪して東京大学に入学したのが73年。前年まで駒場キャンパスでは民青がストライキをしていたのですが、この年はストライキ権を取れず、授業も試験も再開された(笑)。70年安保の後の保守化が始まり、中核と革マルの闘争は一部で続いていくものの、学生は急激にノンポリ化し、エネルギーを失っていくのです。

 当時の私が理解できなかった先輩たちの気持ちに本書で触れ、とてもおもしろかった。たとえば「一方で反米意識に心を吸引されながら、一方でアメリカのような豊かな国になりたいという意識も拭えなかった」という佐野さんの言葉。なるほどと思いました。

裕次郎よりかっこいい

山内 47年生まれの私は唐牛より10歳下。同じ北海道、そして北大の出身です。唐牛が活躍していた時代の間接的な記憶もあるし、彼の周囲にいた西部邁や青木昌彦は直接知っています。神話化された唐牛を覚えている最後の世代かもしれません。

 委員長に就任したときは「石原裕次郎よりかっこいい」と騒がれ、拘置所に映画会社がスカウトに来た唐牛ですから、今であれば世の中が放っておかないでしょう。その魅力は、なんといっても彼の人間力。笑顔が印象的な人ですよ。加えて出世を目指すような山っ気はなく、たいへん純粋だった。全学連の委員長は大衆にアピールする世俗的な目線と同時に、全学連のメンバーを説得するための論理的構成力も求められる。そのふたつを兼ね備えた唐牛が登場したのは、幸運な偶然だともいえます。北大まで唐牛をスカウトにいった、ブント(共産主義者同盟)書記長の島成郎は慧眼です。

片山 島の説得に、唐牛の返事は「皆が賛成するなら、自分としてはやってみたいと思う」。史上最年少、22歳の全学連委員長誕生でした。

山内 唐牛が東大や京大でなく、北大というのも興味深い点ですが、そこはあまり書かれていません。おそらく東京出身の佐野さんには、50年代、60年代の北海道と北大の個性をうまく掴みきれなかったのでしょう。「わざわざ東大に行かなくても、北大があるから十分さ」と唐牛も言っていたそうです。当時の北大生には、自分たちは東大や京大に準じる帝国大学に通っているという矜持もありました。偏差値によって行ける大学を選ぶ今とはまったく違う。東京の私大をわざわざ目指すのは一般的ではなかったのです。

 一方、海によって本州から遠く隔てられていたのも事実。小樽出身の伊藤整が『若き詩人の肖像』で書いたように、青函連絡船で函館から青森までまず4時間。列車に乗り換え、あれこれ東京まで十数時間。苦労の末に上京した伊藤が味わった屈折感は、程度の差はあれ、北海道の人間なら多くが経験したことでしょう。こうした自我意識と鬱屈感が混ざり合っているのが唐牛健太郎なのです。くわえて、芸者の息子で庶子だというルーツも、影響しているかもしれませんね。