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「愚将」牟田口廉也 “不適材不適所”を生んだ組織の病とは何か?

「愚将」牟田口廉也 “不適材不適所”を生んだ組織の病とは何か?

今につながる、日本陸軍の問題

2018/08/13
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SNS上に現れた「牟田口的」という批判

 この敗北の結果、現地でインパール作戦を計画実行した牟田口廉也軍司令官は厳しい批難を浴び、戦後、「愚将」という不名誉なレッテルが貼られた。

 また、最近になって、SNS上では東京オリンピックにまつわる話題のなかで、牟田口のことに注目が集まっている。それは、オリンピック開催中、猛暑が予想されているにも拘らず、再検討をしない小池百合子東京都知事や、森喜朗JOC会長を名指しし、彼らの考えを「牟田口的」であると批判する書き込みが現れたからだ。これは、無理な計画を推し進めた「愚将」牟田口のイメージが今でも残っているといえるのではないか。

牟田口廉也 ©文藝春秋

 実は、私は牟田口が「愚将」であったかどうかはどちらでも構わないと思っている。それは、たとえ牟田口を主観的に「愚将」と見なしたところで、歴史学的に何ら意味をなさないからだ。

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 問題とすべきは、インパール作戦の失敗を取り出して牟田口を評価することが、はたして適切かどうか。実は、牟田口は日中戦争勃発のきっかけとなった盧溝橋事件の当事者のひとりであり、また、太平洋戦争で真珠湾攻撃よりも早く始まったマレー作戦でも、師団長として部隊を指揮していた。すなわち、軍人牟田口の足跡を見ていくことで、アジア太平洋戦争の歩みをたどることができる。このような観点は、インパール作戦だけで牟田口を評価している限り見えてこない。