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角田 光代
2016/08/18

小説の時代背景

『我々の恋愛』『三の隣は五号室』『焼野まで』ほか

source : 文藝春秋 2016年9月号

genre : エンタメ, 読書

 

小説を読むとき、その小説世界の時代背景を以前とは異なった意味で意識するようになった。書かれた時間の前後に、どんな世界的・局地的な事件やできごとがあったかを、つい思い浮かべてしまう。そういう意味では『我々の恋愛』は非常に刺激的だし、考えさせられる。小説の舞台は携帯電話が普及する前、九〇年代前半。携帯もパソコンも普及していないからこそ生まれた、奇妙な恋愛を軸にして進む小説で、コミュニケーションツールの変化が私たちの何を変えたのかに思いをはせてしまう。この小説にはまた、一九九五年一月十七日、二〇〇一年九月十一日という日が、私的な意味を持って描かれる。その日に起きた二つのできごとが、私たちにどう影響しているのか、つまり、私たちの出会いも、恋愛も、関係も、人生も、時代の影響を免れ得ないのか、などと考えた。いや、よしんば考えなくても、読むだけでたのしかった。

『三の隣は五号室』も、アパートの一部屋を舞台として、一九六六年から二〇一四年までを描く。この部屋に住んだ人々の、暮らしの断片を描きながら、この小説が書くのは時代と場所だ。細部を描きながら、ものすごいスケールのものを描き出した小説だと思う。この小説的仕掛けもすごいが、本の物理的仕掛けにも度肝を抜かれた。スケールの大きさといえば『焼野まで』もすごい。これは東日本大震災直後に癌の宣告を受けた女性が語り手である。この小説はいろんなものの境界――過去と現在、現と幻、彼岸と此岸、瞬間と永遠、個と宇宙――をぼやかして、しまいにはなくしてしまうような力を持っていて、だから、九州も東日本も、放射線も原発事故も、みんな何かかかわりあっているように思える。いや、実際かかわりあっているのだと思う。

 二〇〇九年から二〇二二年までを描いた『ままならないから私とあなた』は、この先私たちはどうなるのか? を考えている小説で、読んでいてちょっとこわくなった。さらに未来を描いたのは『アカガミ』、こちらは二〇三〇年。この結末をどうとらえるかは、読み手が今の社会をどうとらえているかということなのではないか。私はとんでもなくおそろしかった。未来を書くとは、今を見据えることだとこの二冊に学ぶ。

 小説に時期は明記されていないけれど、作家がやはり今の時代を見据えて書いていると思ったのは『軽薄』『ねこのおうち』。『軽薄』は、大多数の持つ価値観を共有できない女性が語り手で、その「ずれ」に苦しみながら、苦しむことにも麻痺している。異なる価値観を正義で糾弾する今の世の中を感じながら読んだ。『ねこのおうち』は高齢化や格差、引きこもりといった今日的な問題を扱いながらも、もっと普遍的な深みへと向かう小説だ。生きることはかように苦しい、「が、」とこの小説は伝える。苦しい、が、……そのあとをどう続けるかは読み手にまかされている。

『屋根裏の仏さま』はもっとずっと昔、二十世紀初頭に「写真花嫁」としてアメリカに渡った女性たちを描く。ひとりひとりの声が「私たち」という主語で語られる。やがて「私たち」は戦争へと突入し、強制収容所へと送られる。悲しみに満ちているが、詩のようにうつくしく新しい小説。

『イヤシノウタ』はエッセイ。潔癖になって正義感に満ちて、うつくしいものにあこがれながら、なんだか窮屈にゆがんでいる「今」もしくは「東京」の一面を、みごとに描き出す。でもそれよりも、私は個人的にはっとさせられる文章がいくつかあって、人生の勉強になった。勉強になるといえば『出世酒場』も人生の教科書のようなもの。ただの酒場紹介ではない。長く続く店、繁盛する店にはそれなりの理由がある。なんとなくわかっていたけれど、言葉にはしなかったことが、ずばりと書かれている。これを読むと、飲むときも背筋を伸ばしたくなる。

01.『我々の恋愛』 いとうせいこう 講談社 1900円+税

我々の恋愛

いとう せいこう(著)

講談社
2016年3月10日 発売

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02.『三の隣は五号室』 長嶋有 中央公論新社 1400円+税

三の隣は五号室

長嶋 有(著)

中央公論新社
2016年6月8日 発売

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03.『焼野まで』 村田喜代子 朝日新聞出版 1600円+税

焼野まで

村田喜代子(著)

朝日新聞出版
2016年2月5日 発売

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04.『ままならないから私とあなた』 朝井リョウ 文藝春秋 1400円+税

ままならないから私とあなた

朝井 リョウ(著)

文藝春秋
2016年4月11日 発売

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05.『アカガミ』 窪美澄 河出書房新社 1400円+税

アカガミ

窪美澄(著)

河出書房新社
2016年4月9日 発売

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06.『軽薄』 金原ひとみ 新潮社 1400円+税

軽薄

金原 ひとみ(著)

新潮社
2016年2月26日 発売

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07.『ねこのおうち』 柳美里 河出書房新社 1500円+税

ねこのおうち

柳 美里(著)

河出書房新社
2016年6月17日 発売

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08.『屋根裏の仏さま』 ジュリー・オオツカ著、岩本正恵、小竹由美子訳 新潮社 1700円+税

屋根裏の仏さま (新潮クレスト・ブックス)

ジュリー オオツカ(著),岩本 正恵(翻訳)

新潮社
2016年3月28日 発売

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09.『イヤシノウタ』 吉本ばなな 新潮社 1400円+税

イヤシノウタ

吉本 ばなな(著)

新潮社
2016年4月27日 発売

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10.『出世酒場』 マッキー牧元 集英社 1500円+税

出世酒場 ビジネスの極意は酒場で盗め (ビジネス書)

マッキー 牧元(著)

集英社
2016年5月26日 発売

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