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没後20年、今なお語り継がれるその魅力

『高坂正堯と戦後日本』 (五百旗頭真 著/中西寛 編)――鼎談書評

source : 文藝春秋 2016年8月号

genre : エンタメ, 読書

 

中島 今年で没後20年を迎える国際政治学者・高坂正堯についての論文を集めた論考集です。僕は学生時代から高坂先生に大きな影響を受けているのですが、残念ながら直接お話ししたことはなく、講演を一度聞いたきりです。本書のなかでは、東大大学院教授の苅部直さんの論文を興味深く読みました。論壇では現実主義者とされ、理想主義者との二項対立の中で長くとらえられてきた高坂先生は、本来は理想主義を否定していたのではなく、その重要性を認めつつも理想主義者が教条的になって対話を欠いていることを問題視していたのです。この論文は、高坂正堯という人間像をしっかり解きほぐし、その実像によく迫っていると感じます。

片山 苅部さんは、高坂正堯が、父親で西田幾多郎門下の哲学者、高坂正顕に影響されたということを重視されている。その通りだと思います。高坂正顕は、世界を律する唯一の真理はもはやなく、かといって物差しなき相対主義では駄目で、相対的な中でもそのときどき道徳にかなうことを常に追求せねばならないと言ったと思うんです。そして道徳の問題をカントで説明しましたが、息子も結局、カントですね。父が翻訳したカントの『永遠平和のために』が正堯の導きの書にもなっている。

中島 理念について、「構成的理念」と「統整的理念」の二重構造と捉え、それこそが現実政治だというのが高坂さんによるカントの分析ですね。たとえばオバマ大統領が訴える「核のない世界」は、おそらく実現不可能でしょう。しかしこの「統整的理念」を掲げているがゆえに、「構成的理念」として、広島を訪れることが可能になる。理想がなければ、現実的なマニフェストは生まれてこないのです。高坂先生が自分の政治学の中心を置いたのもこの二重構造で、理想主義を大事にしながら現実と対話を行い、生き生きした理念を積み上げていくことが政治だと考えていました。

山内 私も、カントについての分析は正顕さんより正堯さんの方が深いとする苅部さんに同意しますね。高坂さんとは直接お話しする機会も多くありましたが、単なる政治評論で終わることなく常に現実の政治や社会と切り結ぶなかで言論人として真剣に勝負をし、責任を持って発言をしていたところに本領があると感じていました。この本をきっかけに、高坂さんに対する関心が高まるのはいいことでしょう。

 ただ、高坂さんへのオマージュとして編まれた分、全体として、やや「個人崇拝」が強い印象を受けましたね。力作ですが、高坂さんが歴史に深い興味を抱いていた点を評価し、「『歴史の研究者』と呼んでもおかしくない」とする論文もありました。歴史学者の私は、やや気になりました。世の中には、どうも歴史学を安易に考える傾向がある(笑)。高坂さん自身が「本格的な歴史書を読むのが好きでも、到底歴史の研究者にはなれない」と指摘されるように、歴史書を読むことと、歴史を「学問」として研究することとの間には明確な相違があります。高坂さんを評価する軸は歴史とのかかわりよりも、政治学者としていかに現実政治と切り結んだかにあるでしょう。

中島 僕もそう思います。いま、政治学者が現代の政治にコメントすると、学者らしくないと批判されることがありますが、高坂先生は逆に、新興学問でもある国際政治学の学者の使命は、現実へのコミットだと常々おっしゃっていました。

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