文春オンライン

「一生、自分は自分」という人は、そんな自分とどう付き合うのか?

この時代「人生のデザイン」なんて、できるのか

2018/08/30
note

「なりたい自分」でなく、「そうでない自分」を受け入れていく

 むしろ「ブスだから絶望しました」からスタートして、美しくなるために努力し整形を繰り返している人のほうが、自分の力で人生が前に進んでいるのかもしれない。漠然とお金持ちになりたい、人から愛されたい、良い家庭を築いて充実した人生を送りたいと思う人はほぼすべてだと思いますけれども、そういうゴールに向けて具体的に何をすればいいのか分かっていることなど実は少ないのだと思うのです。

 世の中には、何かを達成するモチベーションとして「何かが足りておらず、絶望する」というコンプレックスから入る人が少なくありません。これを見ていると結局は「なりたい自分」はあるけど「そうでない自分」を受け入れていく、その過程そのものが人生、ということなのかなあと感じるのです。そして、歳を取っていくごとに、年相応に老けていき、開き直りとか諦めとか受け入れることへのハードルが下がり、やがて何かを成し遂げるパワーすら生まれなくなって、昨日何を食べたのかすら思い出すことのできない平凡な日常の中に人生が埋没していく。

©iStock.com

幸せの規範がなくなった

 先ほど述べた「人生がデザインできない」がゆえの漂流は、「こうしたらみんな幸せなんじゃないですかね」という決まった類型や規範がなくなったから、あまりある現代の自由の中で、誰もが堂々と迷子になっている状態です。確たるものもなく、地に足もつかないまま、みーんな漂流しておるのですよ。 でも、生まれ落ちて若いころからコンプレックスを抱いて目標も定まらないまま長い人生を生きていくほど、私たちの精神は堅牢ではないんじゃないか、と感じられてなりません。

ADVERTISEMENT

 45年生きてみて、気づくのです。この人生の過ごし方は、果たして正解だったのか、と。

 まあ、あんまり後悔もしてないし、後悔したところでどうにもならないんだけど。

「一生、自分は自分」という人は、そんな自分とどう付き合うのか?

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー