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連載50年後の「ずばり東京」

古市 憲寿
2016/09/13

50年後の「ずばり東京」第三回
首都高とモノレール“負の遺産”

五輪に間に合わせた急ごしらえの代償

source : 文藝春秋 2016年10月号

genre : ライフ, ライフスタイル

 二〇二〇年に開催される東京オリンピックの雲行きが怪しい。新国立競技場とエンブレムの撤回騒動、建築家ザハ・ハディドの死去、誘致の裏金疑惑とネガティブな話題には事欠かないため、一部では「呪いのオリンピック」とさえ囁かれている。奈良時代ならとっくに大仏建立の詔でも出て、僧侶たちは加持祈祷に余念がなかっただろう。

1964年の東京五輪
Photo:Kyodo

 一方で一九六四年に開催された東京オリンピックは、輝かしい出来事として想起されることが多い。「敗戦国になった日本にとって希望の祭典」「オリンピックのおかげで日本は一等国になれた」というような具合だ。自分の青春と重ね合わせながらオリンピックの思い出を語る高齢者も多い。

 しかし、である。あのオリンピックから五十二年が経ち、今一度冷静に考えてみる必要があると思う。本当に一九六四年のオリンピックは「成功」だったのだろうか、と。もちろんあのオリンピックの功績が多いことは否定しない。

 しかし東京という街を中心に考えてみると、あのオリンピックが残した「負の遺産」は思いの外多いのである。そして、オリンピック「成功」の陰に隠れて、大きな不利益を被った人々も決して少なくなかったのである。

首都高に潰された「東京」

 ヨーロッパに行くと、車道も歩道も広い街路樹のある通り(かっこよくいうとアベニュー)をよく見る。こんな素敵な場所が東京にも、もっとあればいいのにと思ったことはないだろうか。実は昔の東京には、そんな余裕のあるアベニューがあったのだ。

 JR信濃町駅を降りるとすぐ、右手に巨大な「森」が姿を現す。新国立競技場の建設予定地で、様々な利権が渦巻くと噂される明治神宮外苑だ。駅前はトンネルになっていて気付かないが、この外苑から明治神宮に至る裏参道と平行するように、首都高速4号新宿線が走っている。

 参道とは文字通り、神社仏閣に参拝するための道のこと。裏参道は明治神宮内苑と外苑をつなぐために整備された。大正時代のことである。当初は一般道路を建設する予定だったが、栄えある参道ということで、歩道と車道、遊歩道の間に並木の植樹帯を設け、さらに外側に乗馬道を設置することになった。結果、横幅三十六メートルにも及ぶ本格的な公園道路が誕生したのである(越澤明『東京都市計画物語』)。

 だが、現在の裏参道に「公園道路」の面影を探すことは難しい。なぜなら、首都高4号線建設に際して、乗馬道をぶっ壊し、さらに並木も一部伐採してしまったからである。

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