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角田 光代
2016/04/14

災害後を生きる

『砂浜に坐り込んだ船』『バラカ』『薄情』ほか

source : 文藝春秋 2016年5月号

genre : エンタメ, 読書

 

震災から五年がたった。津波の被害に遭った町や原発事故のその後を、新聞や雑誌が特集を組んで伝えていた。それらを読むたび感じるのは、あの大地震の日から今がずっとつながっていて、未だ混乱が続いているということだ。『砂浜に坐り込んだ船』『バラカ』を読んで、そんなことをあらためて考える。前者は短編集だが、すべての短編小説が、生きる人にとって死とは何かを問うように語りかけてくる。大震災、大事故、多くの人のいのちが奪われていくこと、その後を生きること、作家は答えを急がずにじっくりと考えている。そのことが強く伝わってくる。

『バラカ』は二〇一一年の大地震を中心に据えているが、そのことを描くというよりもむしろ、それをきっかけに噴き出したたくさんの問題を描きながら、未来へと突っ走っていくような小説だ。読むことの快楽を存分に味わいながら、小説の深みに思わず目をこらす。震災後長い長い年月を経てバラカが獲得する未来を、私たちもいつか手にすることはあるのだろうか。

『薄情』の背景となっているのは舞台となる群馬を襲った大雪である。この歴史的な大雪をどんな立場で経験したかしないか、人によって異なる。土地と人と、人と人の、ものすごく繊細で微妙な、言葉にならないような関係が描き出されている。この小説のラストの、語り手がぐんと前に進むような爽快を、『愛のようだ』のラストでも感じた。語り手の友人の彼女が深刻な病になる。一方、免許を取ったばかりの語り手はほとんどの場面で車に乗っている。そのことが、最後のある気づきに関係してくる。爽快と幸福は同義ではないけれど、でもこのラストを読んでいて、不幸によく似た何かから逃げおおせる気がした。

『D菩薩峠漫研夏合宿』は、都内の男子校に通う、性同一性障がいの十五歳の少年が語り手である。時代は一九八〇年代。携帯電話も携帯ゲーム機もなく、そして性同一性障がいという言葉もなく、その概念も理解されてはいない時代。一貫して軽やかな調子で小説は進むが、ラストで私は語り手の孤独の深さに触れて落涙した。彼の特殊性による孤独ではない、愛されることを切望する私たちの、若く、満たされることのない孤独だ。

『未成年』には、特殊な孤独が描き出されている。みずから信じる宗教のため、輸血を拒否する白血病の少年と、輸血の許可を求める病院側と少年の裁判を行うことになった女性裁判官。宗教と法律と生命を賭けて、二人は会い、言葉を交わす。それによって二人はあらたな苦悩を引き受けることになる。緻密で静謐な物語に浸った。

『楽しい夜』は十人の作家によるアンソロジー。読んでいてわくわくしてくる。しかも一編一編、私の想像をはるかに超えてそれぞれの方向にぶっ飛んでいて、刺激的だった。

『いつかの人質』も私の想像を超えるミステリーだった。複雑な事件の入り組み方、意外な展開、ものすごい力業でぐいぐい進む。視力を失った少女の視点で書かれるパートの、五感の描き方が絶妙にうまくて、こわくて痛くてつらかった。しかしそれもまた読書の醍醐味。

 エッセイ『まにまに』、この作者と自分の感覚の隔たりに心底びっくりした。多くのエッセイに私は共感することが多いのだが、このエッセイでは自分との違いに驚愕しきり。だから作者の感覚や感情がものすごく新鮮で、同時に、気持ちのすこやかさ、人間を信じようとする覚悟の強さが伝わってもくる。

『べつの言葉で』は私にとって一種壮絶な本。イギリス生まれアメリカ育ちのインド人である作者は、イタリア語に魅せられ、それを獲得していく。ついにはイタリアに住み、イタリア語で小説を書く。言語と思考の関係や、言語と小説の支え合い方、等々、自分ではもてあますほど多くのことを考えさせられた。すごい作家だ。次作が心からたのしみ。

01.『砂浜に坐り込んだ船』 池澤夏樹 新潮社 1400円+税

砂浜に坐り込んだ船

池澤 夏樹(著)

新潮社
2015年11月27日 発売

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02.『バラカ』 桐野夏生 集英社 1850円+税

バラカ

桐野 夏生(著)

集英社
2016年2月26日 発売

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03.『薄情』 絲山秋子 新潮社 1500円+税

薄情

絲山 秋子(著)

新潮社
2015年12月18日 発売

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04.『愛のようだ』 長嶋有 リトル・モア 1200円+税

愛のようだ

長嶋 有(著)

リトル・モア
2015年11月20日 発売

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05.『D菩薩峠漫研夏合宿』 藤野千夜 新潮社 1800円+税

D菩薩峠漫研夏合宿

藤野 千夜(著)

新潮社
2015年10月30日 発売

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06.『未成年』 イアン・マキューアン 村松潔訳 新潮社 1900円+税

未成年 (新潮クレスト・ブックス)

イアン マキューアン(著),村松 潔(翻訳)

新潮社
2015年11月27日 発売

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07.『楽しい夜』 岸本佐知子編訳 講談社 2200円+税

楽しい夜

(著)

講談社
2016年2月25日 発売

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08.『いつかの人質』 芦沢央 KADOKAWA 1800円+税

いつかの人質

芦沢 央(著)

KADOKAWA/角川書店
2015年12月26日 発売

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09.『まにまに』 西加奈子 KADOKAWA 1300円+税

まにまに

西 加奈子(著)

KADOKAWA/メディアファクトリー
2015年9月11日 発売

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10.『べつの言葉で』 ジュンパ・ラヒリ 中嶋浩郎訳 新潮社 1600円+税

べつの言葉で (新潮クレスト・ブックス)

ジュンパ ラヒリ(著),中嶋 浩郎(翻訳)

新潮社
2015年9月30日 発売

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