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オードリー若林正恭39歳の日々「ガールズバーに飽きて、ゴルフに夢中」

2018/09/06
note

親父とまえけんさんが亡くなって、一人旅したキューバ

――エッセイにはゴルフや旅行、DJなど色々とエピソードが出てきます。1番印象に残っているのは?

若林 やっぱりキューバですかね。

――一昨年に一人旅で行かれたキューバ。

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若林 親父が死んだのと、まえけん(前田健)さんが亡くなったのが、2016年4月で。それが大きかったです。2週間ぐらいの間に親父が死んで、まえけんさんが亡くなられて。まえけんさんがICUに入っている病院も行ったり。若手のとき、まえけんさんにずっと飯食わしてもらっていたんですよ、僕。だから、「ほんとに会えないのかな」ということになるじゃないですか。気の合う人に会っている時間ってすげえんだなと考え始めて。

 そのあとキューバに行ったときにハバナ湾沿いにみんな集まってきて、ずっとしゃべってるんです。いいおじさんがギターとか、アコーディオンを持ってきて、深夜まで。東京に住んでいると、みんな明日、仕事あるのかなと思っちゃうじゃないですか。でもキューバでおじさんがずっと話しているのを見ていると、気が合う人とただくだらない話をしているのが、けっこう人生のピラミッドでも上のほうのことなんだと思ったんです。

 

――すごく重要なことだと。

若林 そうそう。今までは何かを受賞して、盾を持って写真を撮っている瞬間が人生のピーク、みたいなイメージがあったんですけど、あれは全然ピークじゃないですね。

 でも、たとえばいま親父が生き返って、急に一対一で飲みにいくって言っても、ちょっと恥ずかしくてしゃべれないですけど(笑)。今年は阪神がロードが強いとか、アメフトで誰々がトレードだとか、そんな他愛もない話をするんでしょうね。

人見知りを治すにはガールズバーか2丁目のバーしかない

――本のなかで「キャバクラやガールズバーに行くことを容認して欲しい」と書かれていたのが気になりました。

若林 いや、これは5年前にNHKの番組に出て、そのあたりからMCの仕事を頂いていたんです。そしたら、マジで人見知りで、懐に入れないという自分に気づいていて。ゲストの方をもうちょっと掘ったらおもしろいのに、僕の人見知りのせいで、番組がもうひと盛り上がりできるチャンスを逃しちゃっていたので、初めてまずいと思って。若いときは飲み会でも早く終わんねえかなとか、新入社員の人とかそうだと思うんですけど、自分がしゃべらなくても許される時代があって。でも番組のMCが打ち上げ会場で黙ってるってあり得ないですから。

――確かに。

若林 番組を回さなきゃいけないでしょ。それで日テレの「NFL倶楽部」でも1年目の女子アナの子がいて、勝手が分かってなかったから、僕が人見知りしている場合じゃなくて。それでそのときに、人見知りを治すためにガールズバーに通い始めたんです。これほんとに断言できるんですけど、おじさんというか、人見知りが人見知りを治す場所って、ガールズバーと2丁目のバーしかないんですよ、世の中に。その二択しかないですよ。

――なるほど。

若林 ガールズバーはテーブルを挟むからちょうどいい距離感で、お金払って、生意気も言えるんです。で、40分で終わる。何がいいって、面と向かって会話ができない、照れるときにジェンガが置いてあるんです。ガールズバーの女の子とのジェンガを通して、徐々にリハビリできていくんですよ、女の子苦手の。

女性は意外とやさしい人たちなんだ

――人見知りの壁がどんどん崩れていくんですね。

若林 そうなんです。だから通って1年後ぐらいには、菊地亜美をいじり倒せるようになったんです(笑)。

――そのあとのエッセイで「ガールズバー(キャバクラ)も飽きてしまって全然行かない」とありますが、人見知りが克服できたんでしょうか?

若林 克服できてない部分も多少残っているんですけど、沈殿するような感じで。だけど、ガールズバーのお陰というのはけっこうあって。女性と言ったら、自分を、ジャッジしてくるし、「はい、男としての偏差値30」「はい、あなたは不良高校」みたいに、どんどん間引いていく人種だと思っていたんですよ。だけどジェンガをやっていくに従って、意外とやさしい人たちなんだと(笑)。