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相場 英雄
2016/08/16

「時給910円」で働く39歳男性の孤独な戦い

旬選ジャーナル 6月28日、東洋経済オンライン(筆者=藤田和恵)

source : 文藝春秋 2016年9月号

genre : ニュース, メディア

相場英雄氏

 私事で恐縮だが、今年一月に『ガラパゴス』(小学館)というミステリー小説を上梓した。作中、日本の家電業界がなぜ急激に凋落し、自動車の燃費不正が起こるのかといった産業界の暗部を徹底的に抉った。同時に、日本の製造業の現場で働く人々の姿を追った。昨今「非正規労働者の割合が四割を超えた」と伝えられている。理由は簡単だ。電化製品や自動車は海外後発メーカーとの苛烈な価格競争にさらされている。またデフレの長期化で他の企業もコスト削減が必須。このため、製品に欠かせぬ部品などと同様、人件費も厳格に圧縮対象となっているのだ。

 こうした環境下、私が注目しているのは、東洋経済新報社が展開する「東洋経済オンライン」だ。マクロ経済といった王道コンテンツが並ぶ中、ベテランのライター陣が綴る「貧困」に関するルポ群は必読だ。記事から有名蕎麦店で過酷なアルバイト生活を強いられる青年の話を引用してみよう。

〈厨房で揚げ物などを作っていると、時々頭痛がする。一度、警報機が作動し、病院に行ったことがあるが、このときは一酸化炭素中毒と診断された。また、この一年間で二回、肺炎を患った。原因は厨房に繁殖しているカビではないかと思っている。終日、立ちっぱなしで、重い寸胴を運ぶなど重労働だが、タカシさんの月収は二〇万円を切る。退職金もボーナスもない。(中略)タカシさんはこう言って皮肉る。「お客さんはみんなアベノミクスの恩恵を受けている人。カウンターの内側と外側では、人間の住む世界が違います」〉

 この話を本誌読者はどう感じるか。「大袈裟だ」、「正社員になれない人間に落ち度がある」……そんな風に考える向きが少なくないのでは。同じテーマを取材した者として断言できるのは、ルポは決して誇張ではないということ。もちろん、自らの希望で派遣や契約社員のポストに就いている人も多い。全ての非正規労働者が厳しい現実に直面していると言い切るつもりはないが、ルポ中に登場するような状況は読者のごく身近にある。私も作品を書くに当たり、同様の話をたくさん拾った。〈一度(正社員の)ルートを外れると、二度と這い上がれない〉〈警備員アルバイト時は交通費が支給されなかったので、現場まで往復二〇キロを六日間歩き続けた〉……。

 通常、小説のネタを提供してくれる証言者を探す作業は骨が折れるのだが、このときは比較的容易だった。非正規労働者の割合が三割から四割へと急激に上がっていた時期だったからだ。東洋経済の同サイトでは、地域に根ざした貧困の原因、あるいは女性特有の理由から生じる問題などについて、ベテランのライター陣が丁寧に取材した記事がいくつも並ぶ。貧困問題の根深さと日本が直面している深刻な状況を多面的に知ることができる。

 昨今、この国のリーダーたちは「同一賃金同一労働」と美辞麗句を並べる。だが、貧困問題の病根を取材した者としては、こんなスローガンは絶対に達成不可能と映る。人間を使い捨ての部品さながらに扱うシステムそのものを是正しなければ、追い込まれる人は減らない。私見だが、近々に正社員と非正規の割合は逆転するだろう。これに伴い、自らの意思とは一切関係なく貧困に直面する人々は確実に増加する。比率がかろうじて逆転していない今こそ、様々な貧困の要因に目を向けるべきだ。「貧困」が当たり前となれば関連するニュースが「目新しさ」を失う。世に問うべき情報そのものが姿を消してしまう前に考えるべきだ。

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