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特集神童は大人になってどうなったのか?

東大野球部出身の神童は、大人になってどうなったのか?

東大野球部出身の神童は、大人になってどうなったのか?

商社・マスコミに強い元部員たち

2018/09/08
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東大野球部神童の出身高校は?

 東大野球部神童の出身校は当然のことながら、キラキラ光る進学校が多い。野球部員の出身校を集計してみた(2004年~2018年)。

1位 開成 8人
2位 栄光学園 7人
3位 武蔵(私立)、筑波大学附属駒場、東京学芸大学附属、灘 6人
7位 海城、高松、岐阜、浅野、桐朋、土浦第一、半田 4人
14位 湘南、東大寺学園 3人
(それぞれの年ごとに4年生の出身校を集計。原則として選手のみ)

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 上記のうち、甲子園出場経験があるのは高松(夏=1915年、1926年、1928年、1934年。春=1928年、1930年、1933年、2005年)、岐阜(夏=1949年、1954年。春=1955年、1962年、1978年)、湘南(夏=1949年。春=1951年、1954年)、土浦第一(夏=1957年)の4校。

©文藝春秋

都立国立高校出身の甲子園経験者たち

 甲子園東大野球部神童が集まったのが、都立国立高校である。

 1980年、同校が全国大会に出場したときのメンバーで東大野球部員は浅川岳夫(1985年)、市川武史(1986年)、川幡卓也(1986年)、布施英一(1987年)の4人。

 浅川は富士通、市川はキヤノンのエンジニアとして活躍。

 市川は、同校の学校史でこう述懐する。

「もともと『野球をやるため』『甲子園に行くのだ!!』の気持ちだけで国高に入ってきたようなものである」(『国高五十年史』1991年)

 川幡は電通に勤務する。

「東大に落ちたときも記事になったし、受かったときは(新聞の)1面にもなったんですよ。恥ずかしい? いや、僕は嫌いじゃないですね」(「東スポWeb」2018年3月13日)

©文藝春秋

 ほかに甲子園東大野球部神童3人。

 広岡知男(1932年)。旧制大阪府立市岡中学時代に全国大会出場。旧制第五高等学校(現、熊本大学)を経て東京帝国大学に進む。その後、朝日新聞社に入り、1967年に同社社長となった。東大野球部神童のなかで一番の出世頭であろう。

 八重樫永規(1985年)。岩手県立盛岡第一高校時代、1978年全国大会に出場した。東大には現役合格、外務省1種試験(現、総合職)に合格する神童ぶりを見せつけ、キャリア外交官の道を歩んでいたが、公募でユーシン社長に就任。会社を軌道に乗せることができず退社して、現在は技研製作所の執行役員をつとめる。 

 楠井一騰(2008年)。島根県立松江北高校出身。2002年春の選抜大会に21世紀枠で出場した。現在は商船三井でフェリー事業に関係する仕事に就く。

安定志向を求めない

 東大野球部神童は商社やメディアが多い。理系ではメーカーが見られる。一方、官僚や銀行員が少ない。

 朝木秀樹(1985年)は愛知県立千種高校出身。高校時代は激戦地愛知でベスト16まで進んだ。東大ではNHKの大越健介と4年間バッテリーを組み、卒業後は三和銀行(現・三菱UFJ銀行)に進んでいる。しかし同行を早期に退職して麻布学園の事務方で働いたあと、2018年に筑波大学附属駒場高校野球部監督に就任した。

 安定志向を求めず、山師的なメンタリティを感じさせる。

 永遠の野球少年としてフィールドをかけめぐる。そのなかで、パイオニア、チャレンジャーとして何かに取り組む、何かを作り出すのが大好きな神童なのだろう。

 そんな東大野球部神童は社会を驚かすようなカッコイイことをやり遂げてほしい。

(敬称略)

神童は大人になってどうなったのか

小林 哲夫(著)

太田出版
2017年8月17日 発売

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