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日本人アーティストが異国で撮った写真が「フェルメールの境地」に至ったワケ

アートな土曜日

2018/09/15
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 この静けさは何だろう。永遠にときが止まったかのような空気が、展示空間に満ちている。東京・六本木の喧騒からいきなり非日常の世界に引き込まれるような体験ができるのは、タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムでの山元彩香個展「We are Made of Grass,Soil,and Trees」だ。

山元彩香 「Untitled #175」、2016 年、C プリント© Ayaka Yamamoto / Courtesy of Taka Ishii Gallery Photography / Film

言葉を使わず本質を引き出す撮影手法

 アーティスト山元彩香は、もともと大学で絵画を専攻していた。徐々にパフォーマンス作品や映像作品へと関心が移ろい、2004年に米国留学したのを機に写真を用いた制作をはじめる。言葉で十全にコミュニケーションができなくても、写真があれば何がしかの意思疎通ができることに気づき、それをおもしろく感じるようになったのだ。

山元彩香 「Untitled #137」、2014 年、C プリント© Ayaka Yamamoto / Courtesy of Taka Ishii Gallery Photography / Film

 以来、山本は写真作品の制作を続けてきた。撮るのは一貫してポートレートである。撮り方も、ずっと同じ手法を継続している。日本で生まれ育った山元の常識や感覚が容易に通用しない場所までわざわざ出かけていき、現地の人々を撮影する。手間も労力もかかるが、そうしてこそ、言語とは別の回路で人と人をつなげることができるという写真の特性を、浮き彫りにできると信じているのだ。

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 ゆえにエストニア、ラトビア、フランス、ロシア、ウクライナ、ブルガリア、ルーマニアなどなど、撮影地は多岐にわたる。現地に入ると山元は、被写体になってくれる女性たちを自力で見つけ出し、カメラの前に立ってもらう。どんな人を選んでいるかといえば、土地の記憶や時間をその身に湛えているように思える相手である。

「言葉での意思疎通をしない」独自の撮影手法

 撮影のあいだは、努めて言葉での意思疎通をしないようにする。直接触れて立ち位置やポーズを指定し、指の動きだけで視線の置き場所を導いたり。静かに、ごく静かに作業は進む。被写体の彼女が内包している物語を、そっと探り当てようとするのだ。

 そうしていると、どこかの時点で目の前の被写体が、何か違うものに変化する瞬間が訪れる。個人としての存在ではなく、もっと大きい何かが降りてきて、知らぬものに成り代わってしまうような感覚。そのとき初めて、山元はカメラのシャッターを押し、彼女たちの姿を写真に留める。

Courtesy of Taka Ishii Gallery Photography / Film / Photo: Kenji Takahashi

 ふだんとは異なる衣服をまとって、本人に固有のしぐさや表情も消し去るよう誘導された彼女たちは、山元のカメラの前で表面的な個性を奪われている。代わりにいつしか、自身も気づかぬ無意識の層が立ち現れてきて、観る側としてはふだん「見えないもの」に触れた感触が得られるのだ。