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金子 達仁
2016/09/20

女子をグラウンドに立たせられない理由

旬選ジャーナル 8月2日、デイリースポーツオンライン(筆者=重松健三)

source : 文藝春秋 2016年10月号

genre : ニュース, メディア, スポーツ

金子達仁氏

 昔からこうだったっけ――。毎朝、スポーツ新聞の記事に目を通すたび、そう思うようになっていた。

 選手はその時何を思ったのか。試合後には何と言ったのか。読者としてはもちろん知りたい。けれども、最近のスポーツ新聞は、あまりにもコメント至上主義に寄りすぎているようで。

 できるだけ選手の真意を伝えたい、という狙いはわかる。ただ、記事の“主成分”がコメントだけというのは、読み手としては物足りない。五輪の記事にしても、十分すぎるほど充実した日本人選手の記事に比べ、コメントの取りにくい外国人選手の記事は、たとえそれが素晴らしく感動的であったり劇的な試合だったとしても、扱いの大きさだけでなく、クオリティ自体もガクンと落ちる。

 取材対象が口にした言葉をできるだけ正確に伝えるのは、むろん、ジャーナリストにとって大切な仕事の一つである。だが、書き手がその時何を感じたのかという「オピニオン」の発信も、同じぐらい大切なはず。そして、オピニオンを発信する権利は、年齢や経験の多寡と関係なく、ペンを持つすべての記者に与えられているはずである。

 欧米のスポーツ・ジャーナリズムには、時折、彗星のごとく若手が現れるが、日本の場合、それは難しい。若手は選手のコメント取り。オピニオンを発信できるのはベテランのエース記者だけ。大変な難関をくぐり抜けてきたはずの多くの才能が、選手にぶら下がることばかりに消費されてしまっている。

 もちろん、そのあたりは新聞社側でも憂慮しているのだろう。最近では、ウェブを使って若手記者にオピニオンを発信する機会を与えるようにもなってきた。八月三日付デイリースポーツのコラム『記者の目』は、もともとは同紙のウェブサイトに掲載された『女子をグラウンドに立たせられない理由』(八月二日配信)というタイトルの記事である。

 すっかりリオ五輪の喧騒に飲み込まれてしまった感のある今夏の高校野球だが、大会序盤、ワイドショーまでもが飛びついたちょっとした事件があった。大分高の女子マネージャーがグラウンドで練習補助を行い、大会関係者に制止された一件である。大半のメディアは付和雷同的に、この判断を下した高野連の批判に終始していた。

 重松健三記者はこう書く。

「各コメンテーターが『世の中と最もずれている競技になりつつある』『危険って性別関係ないじゃん』『謎の様式美、禁則が多すぎますね』と発言しているが、それは“硬球の危険性”を念頭に置いた上でのコメントだったのだろうか」

 実はわたしが思ったのも、コメンテーター諸氏とほぼ同じ。我が念頭に“硬球の危険性”はみじんもなかった。

 重松記者はかつて「チームメートが練習試合で右目に打球を受け」、結果的に野球を諦めたことを明かし、その上で「小さい頃から野球に取り組」んできた「男子ですら不慮の事故は起こってしまう。そこに野球経験のない女子が」無条件で入ってもいいものか、と訴える。

 これぞオピニオン!

 わたしが新聞記者ではないこともあって、話を聞かせてもらう選手からスポーツ新聞の記者に対する不満を訴えられることは珍しくなかった。選手の側からすると、「俺に群がってるだけのくせに」といった思いがあるのかもしれない。

 だが、選手諸君、舐めてはいけない。機会さえ与えられれば、目の覚めるようなオピニオンを叩きつけてくる記者もいる。特に、デイリースポーツの主役でもある阪神の選手諸君は、ご注意を。