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恋愛という場で「選ばれなかった者たち」の残酷な現実

『私が語りはじめた彼は』(三浦しをん 著)――究極の徹夜本!

2018/09/28

 世の新刊書評欄では取り上げられない、5年前・10年前の傑作、あるいはスルーされてしまった傑作から、徹夜必至の面白本を、熱くお勧めします。

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『私が語りはじめた彼は』(三浦しをん 著)

 自分が相手を想うように相手も自分を想ってくれてハッピーエンド――それが恋愛における最も美しい着地だ。しかし往々にして、恋愛は選ばれなかった者を悲劇に突き落とし、無関係な周囲の人間さえ巻き込むものでもある。三浦しをん『私が語りはじめた彼は』は、そうした「選ばれなかった者たち」「巻き込まれた者たち」の物語だ。

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 本作の複雑な人間関係は、村川融という学者を中心に展開される。彼は妻がありながら女子学生と浮気していると噂を立てられたが、実は第3の女がいるらしい。だが、村川から受ける印象はありがちな好色漢というより、もっと得体の知れない何かである。本作の主人公は彼ではなくその周囲の人々であり、彼らの目に映った村川しか作中では描かれないからだ。彼は女たちからの愛を貪りながら誰のことも理解せず、誰からも理解されない。

 村川の弟子、村川に妻を寝取られた男、先妻の息子、後妻の連れ子にある目的で近づいた男、先妻の娘の恋人……彼らは村川の恋愛によってバタフライ効果さながらに翻弄される。逆境を乗り越える者もいる一方で、決定的な悲劇を見届ける者もいる。

 では、周囲の顰蹙(ひんしゅく)や反撥をはねのけて結ばれた村川とその相手は、多くの人間の犠牲と釣り合うだけの幸せを手に入れたのだろうか。最終話のラスト、語り手が目撃する海辺での情景は、この物語を最後まで追ってきた読者を戦慄させるに違いない。すべてが終わった果てに残されたのが、この荒涼たる眺めだったとは。

 恋愛という美しい幻想に隠された酷薄な現実を、ガラス細工のような冷やかな手触りで描ききった恐ろしい小説だ。(百)

私が語りはじめた彼は (新潮文庫)

三浦 しをん(著)

新潮社
2007年7月30日 発売

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