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連載松尾諭「拾われた男」

松尾諭「拾われた男」 #18 「渋谷区役所に行って、妻になる人に名前を書いてもらった日」

2018/09/30

genre : エンタメ, 芸能

 子供の頃から人を驚かすことが好きだった。泣き真似をしたり、病気になったふりをしたり死んだふりをしたりして、親や学校の先生らを驚かせては怒られていた。いつ頃から、どうしてそんな事をするようになったのかは定かではないが、こうすると相手をしてもらえる、構ってもらえると思っていたのだろう。それは好きになった女の子に対しても同じだった。

松尾諭さんが出演中のNHK土曜ドラマ『不惑のスクラム』 10月13日(土) まで、毎週土曜よる8時15分から8時43分(連続7回)

彼女の「もー!」を聞くのが好きだった

 小学校の修学旅行で登った鳥取の大山で、幸運な事に片思いしていたゆかりちゃんと同じ班になった。小学生の足には大山登山は楽なことではなかったが、誰とでも屈託のない笑顔で話をするゆかりちゃんが同じ班にいるだけで疲れなんて感じなかった。そんな彼女の気を引きたい一心で、ランボーよろしく登山道から転げ落ちるふりをした。転げ落ちそうになるところで、持ち前の運動神経で手すりのロープを掴むはずだったのだが、思っていたほど運動神経がよくなかったようで、ロープを掴みそこない、5メートルほど下まで転げ落ちてしまった。ゆかりちゃんは涙目で心配してくれて、以後の道中ずっと気にかけてくれ、たくさん話ができ、2人の距離は一気に近くなった。ゆかりちゃんは驚かしがいのある子だった。修学旅行の後も、しょっちゅう驚かせては「もー!」と怒らせていたが、彼女の「もー!」を聞くのが好きだった。

 ゆかりちゃんには気持ちを伝えることなく転校してしまったが、それからも女性の「もー!」を聞きたくて、好きな人ができるたびに驚かせていた。ただ、「もー!」と言われたからと言って、その人に気があるわけではないと分かったのは、それから随分と先のことだった。