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「あの時の選択」を悔やむ遺族 怪しげな民間療法に走らないために

長田昭二が『医療現場の行動経済学』(大竹文雄/平井啓 著)を読む

2018/10/01
『医療現場の行動経済学』(大竹文雄/平井啓 著)

 人生は死との闘いだ。人は死を遠ざけようと苦心惨憺足掻き続け、いよいよ逃れられなくなると狼狽し、正常な判断力を失う。

 そこで著者は行動経済学を持ち出した。既存の経済学は自己の利益に忠実な行動をとる消費者を想定しているが、行動経済学は「時に消費者は自己にとって不利益を招く行動をとることがある」という考えに立脚する。この「自己にとって不利益な行動」こそが、医療の局面での「正常ではない判断」と重なるのだ。

 医師は患者の命を救おうと全力を尽くす。しかし彼らは医療の限界も知っている。がんなどの重大疾患では、時に究極の選択を患者や家族に迫らなければならないことがある。

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 治療をやめて死を受け入れるか、それとも効果のない治療を続けるか――。

 健康な時なら前者を選べても、実際に自分の愛する家族が死の選択に直面した時、多くは合理的な判断ができなくなる。鈍った判断は医療者との間に軋轢を生む。患者は「見放された」という恨みを持ち、怪しげな民間療法に走る者もある。

 しかし、死後に落ち着きを取り戻した時、「あの時の選択」を悔やむ遺族もまた多い。その後悔を未然に防ぐために医療側が取るべき対策を、著者は考察する。

 たとえば、患者にかかっている様々なバイアスを否定するのではなく、バイアスの存在を認めた上で対話をする。あるいは、同じことを伝えるにも、「損失(=これまで時間をかけてきた治療が無駄になること)を回避したい」と考える患者の心理に配慮した表現を選ぶ――などの対応により、患者を合理的な選択に導ける可能性を示唆する。

 医療者に向けた本だが、医療サービスの消費者として供給者の思惑を知ることは、良好なコミュニケーションのためにも重要だ。そしてそれは、死と対峙してからでは遅いのだ。

 たった一度の人生の幕を、後悔なく下ろすために、今こそ学んでおくべきだろう。

おおたけふみお/1961年京都府生まれ。大阪大学大学院経済学研究科教授。著書に『労働経済学入門』など。

ひらいけい/1972年山口県生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科准教授。がん患者のQOL等の研究が専門。

おさだしょうじ/1965年東京都生まれ。医療ジャーナリスト。日本大学農獣医学部卒業。著書に『病院選びに迷うとき』などがある。

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者

大竹 文雄(著)

東洋経済新報社
2018年7月27日 発売

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