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日本の「モノづくり」が辿る悲劇的末路

『シャープ崩壊 名門企業を壊したのは誰か』 (日本経済新聞社 編)――鼎談書評

source : 文藝春秋 2016年6月号

genre : エンタメ, 読書

 

山内 シャープ創業者の故・早川徳次氏が掲げた経営信条は、「誠意と創意」。日本経済新聞社のシャープ担当記者たちが仔細に描くのは、この言葉が虚しく響く名門企業の悲劇的末路です。この本が刊行された後の4月2日にシャープは台湾の鴻海精密工業に買収されたわけですが、経営者の責任がこれほどまで明瞭な企業崩壊のケースは、日本史でも珍しいように思えます。

 直接的に会社を傷付けたのは「液晶パネル」へのモノカルチャー(単一依存)。〈1社長、1工場〉と揶揄されたように、4代目の町田勝彦社長が亀山工場を作り、「液晶の次も液晶です」と語る5代目の片山幹雄社長が堺工場を建設する。また、絶えず歴代会長と社長が経営方針で対立し、人事抗争が起こる。内容が人間くさいのですが、あまりにも深刻で“ドタバタ劇”とも呼べません。社員の気持ちを思うと、暗澹たる気持ちになりました。

片山 文中ではシャープという企業の崩壊を〈絶対権力という魔性にとりつかれて破滅する人間の悲劇〉と喩え、冒頭でシェイクスピアの『リチャード三世』の一節が引用されていましたが、私はむしろ、『ハムレット』を連想しました。ハムレットのような素敵な人はいないのですが、内部抗争の末、デンマーク王室(シャープ)は自壊し、隣国の王子フォーティンブラス(鴻海)に国を盗られてしまう。救いのない、悲しき滅亡のドラマですね。

阿刀田 楽しい気持ちでは読めない本でした。会社は不思議で、取締役会という社の“総意”を決める場があるにもかかわらず、社長が代われば一変してしまう。40代で社長に抜擢された片山氏は液晶の優れた技術者で間違いなく会社の“華”だった。そして社長は“会社の命”。モノづくりの会社として、彼を尊重し、その座に据えるのは当然の営みでしょう。しかし、私は、彼が経営の専門家ではなかったことが悲劇の一因となってしまったようにも思えるのです。「技術と経営のバランス」をどう心得るかが企業に求められていることなのでしょうね。

2匹目のドジョウの「利」

山内 この本の隠れた主人公は、鴻海のトップ「テリー・ゴウ」こと郭台銘氏。そして、彼が欲しいのは、シャープの「液晶技術」の一点のみ。3888億円の融資という彼からすれば二束三文に近いカネでディスプレイ事業を買い叩く。それ以外の部門を抱えるシャープ本体には関心がないように思えます。本書の内容や、シャープを巡る最近の報道や分析からは、そういう最悪のシナリオが見え隠れします。

片山 これまで日本企業の伝統だった「先端技術開発が主導するビジネスモデル」はもはや成り立たなくなっているのかもしれません。

 巨額の開発費を投じて、液晶の解像度は「4K」、「8K」と目まぐるしく進化する。しかし、その技術は、人間の生活上必要なレベルとかけはなれてきていますから、大量消費には結び付かず、儲けが限られ、巨額の投資を回収できない。しかも後発国の技術力が高まっているから、すぐ真似される。今後は、「技術開発を繰り返して財務的に痩せ細った日本企業が外資に買い叩かれる」というパターンが繰り返されるのかもしれません。

阿刀田 「柳の下にいつもドジョウはいない」という諺がありますが、それは嘘。本当は2匹目、3匹目がいるのです。“1匹目の栄光”だけを求めるより、2匹目、3匹目を狙ったほうに「利」がある。これを読むと、そういう時代になってしまったのだと実感しますね。

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