昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

「野球、わかんねーわ」 西武優勝のキーマン・松井稼頭央、考え続けた野球人生

文春野球コラム ペナントレース2018

2018/10/03

 シーズン中、一度も譲ることなく開幕から首位をひた走り、9月30日に10年ぶりの優勝を決めた西武。辻監督の手腕、若手とベテランの絶妙なバランス、新4番・山川穂高選手を中心とした打線の大爆発、チーム内に3人も2桁勝利を挙げた投手がいるなど、様々な好要素が重なりあっての悲願達成となったが、もう1つ非常に大きかったのが、15年ぶりに西武に復帰した松井稼頭央選手の存在だった。

10年ぶりのリーグ優勝を果たしたライオンズ

松井稼頭央のチームへの影響力

「選手兼テクニカルコーチ」という立場であったが、シーズン中、コーチ登録を抹消していることでもわかる通り、選手としての自己追求の日々が主だった。後輩選手たちもみな、“コーチと選手”ではなく、“選手同士”として絶大な尊敬と親近感を抱いており、「指導される」のではなく、同じ選手として、一挙手一投足を見て学び、参考にするという関係が、より一層大きな影響力となっていたように映る。

 コーチとして表立った明確な役割があったわけではなく、選手としては、これまで同様、試合に出るために自分のやるべきことを黙々とこなしていた。それだけに、27試合出場、打率.143の成績に、松井選手自身は、「兼任という形でも、選手としても、自分がチームのために何ができているのかが、正直、今はまだ自分の中ではわからない」と、口にしていた。だが、その一貫した毎日の野球に取り組む姿勢こそが、最高のチーム貢献だった。

 2月のキャンプ時から、早速影響はあった。最も感化された1人が、栗山巧選手だ。「キャンプの時に一緒にマシンのゲージで打っていたのですが、稼頭央さんがなかなか終わらないので、僕が終われないという(笑)」。栗山選手自身も、追求心が強く、やるべきことを突き詰め、日頃から黙々と練習に打ち込む勤勉選手だが、日米あわせ、数々のタイトルや記録を残してきたレジェンド選手の、そのあまりの練習量の多さを目の当たりにし、「背中でしごかれました」。プロ17年目にして、新たに大きな刺激を受けた。

 そして、いつしか偉大な先輩の姿を常に目で追い、練習を見て学ぶことが、新たに背番号『1』のルーティーンに組み込まれるまでになっていた。「稼頭央さんと毎日顔を合わせて、毎日同じユニフォームを着てやっていること自体、僕の全てにおいて影響を受けています」。技術面、メンタル面などの変化・向上が、強力打線誇るチームの中で、時にクリーンナップも任されるほどの勝負強さにつながったと言えよう。

「野球、わかんねーわ」の衝撃

 もう1人、「子供の頃から憧れているスーパースター」と心酔するのが、菊池雄星投手だ。食事の席で、「野球、わかんねーわ」と言われ、あまりにも衝撃を受けたという。「あれだけヒットを打ってきて、メジャーでも活躍した稼頭央さんが、『野球わかんねーわ。難しい』って言うんですよ。本当にびっくりして。僕からしたら、ヒットの打ち方も知ってるだろうし、ホームランの打ち方も知ってるだろうし、成績の残し方も知ってるはずなのに。あれだけ凄い実績を残した選手が、『わからない』って言うのを聞いて、『僕なんて、まだまだ知った気になっちゃいけない。もっともっと突き詰めなきゃ』と思いました」。

 実績が出れば出るほど、経験値を重ねれば重ねるほど、野球は難しく感じていくものなのだろうか。「野球、わからない」その真意を、松井選手に尋ねてみた。

「もっとシンプルに考えられるのが一番良いんでしょうけどね。でも、自分の中では、いろんな情報、いろんなことを経験して、考えてるうちに、難しくなってきたような気がします。

 年齢を重ねることで、衰えも出てくるし、若い時の身体のしなやかさもなくなってくるだろうし。自分のイメージと実際の状態との差もあって、でも、それに合わせていかないといけない。そのために、何かをシーズン中に変えるのって、けっこう勇気がいるし。それでも、変えなければいけない時もいっぱいあるだろうし。投手だって、速球派でいつまでも速球にこだわる投手も多い中、でも、技巧派に変わらなければいけないこともある。そういうのも考えていくと、難しいなと」。

 重ねて、出場機会が減り、少ない打席の中で結果を残す難しさも、今季は一段と感じたと、静かに、丁寧に話してくれた。