文春オンライン

「当たり前のことができない。選手継続1年目が一番つらかった」――大宮アルディージャ塚本泰史、がんを語る #1

塚本泰史インタビュー #1

2018/10/16

「怖い」気持ちをどう払拭するか

──どうやって払拭されましたか。

塚本 兄が所属している社会人チームの練習に参加させてもらっているうちに、怖がってやるより思いっきりプレーした方がいいなというのに気がついたんです。周囲はもちろん僕の状況を知っているので、接触プレーを控えたり、ある程度力をセーブしてくれたので、楽しむサッカーを取り戻せたというか……。今はがっつり接触プレーもされますけど(笑)。

 

──塚本さんにとって、「サッカーをする」ことが何よりのリハビリであり、支えなのですね。

ADVERTISEMENT

塚本 僕は「もう一度サッカーがしたい」という思いだけで突っ走ってきました。夢の持つ力ってすごいと思うんです。目標を持つことで、人は本当に前向きにがんばれると思う。僕は入院していた時も、早くサッカーがしたいと思っていましたけど、他には外出許可もらってラーメン食いたいとか、そんなことばっかり考えてました。

──小さな目標でもそれを掲げることで気持ちの持ちようが変わってくる?

塚本 そう思います。だから僕は、もう死ぬんじゃないかとか再発したらどうしようとか、ネガティブなことは一切考えません。それどころか、実は僕、骨肉腫じゃなかったんじゃないかと思うくらい前向きに考えているので、無回転シュートは無理でも、24日の試合は思いっきり楽しみたいと思っています。

9月24日に行われた「大宮アルディージャクラブ創立20周年記念OBマッチ」は、2対1で大宮アルディージャOBが浦和レッズOBに勝利。この日スタンドからひと際大きな拍手を浴びていたのは、やはり、塚本泰史さんだった。後半開始直後の2分、「背番号2」をつけて塚本がピッチに立つと、5,000人を超える観衆から大きな歓声が沸き上がった。終盤のFKではキッカーを務め、左足のシュートは惜しくも枠を外したが、スタンドは大きな拍手に包まれた。「素晴らしいピッチでサッカーができる幸せを、あらためて感じた」と塚本はこの日の喜びを語った。

9年ぶりにピッチ復帰を果たした 提供:大宮アルディージャ

つかもと・たいし/1985年生まれ、埼玉県出身。浦和東高校、駒澤大学を経て2008年より大宮アルディージャに加入。2009年にはリーグ戦21試合に出場。2得点を挙げ、チームの中心選手として活躍したが、2010年に骨肉腫を公表。同年3月に人工関節を移植する手術が行われ、その後も抗がん剤治療を行い完治。現在はクラブアンバサダーとして活動しながら2016年からはクラブスタッフとしてホームタウン担当も務めている。

(#2に続きます)
写真=末永裕樹/文藝春秋

「当たり前のことができない。選手継続1年目が一番つらかった」――大宮アルディージャ塚本泰史、がんを語る #1

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー