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人工関節への手術から8年。再びピッチに立った塚本の今――大宮アルディージャ塚本泰史、がんを語る #2

塚本泰史インタビュー #2

2018/10/23
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手術を決断するまで「めちゃくちゃ悩みました」

──手術を決断されるまでには、相当苦しい葛藤があったと思います。

塚本 めちゃくちゃ悩みました。先生も僕がプロのサッカー選手だとわかっているので「すぐに結論は出さなくていい。納得いくまで他の病院をまわるなりしておいで」と言ってくれました。なんとか手術しなくてもすむ治療法はないかと、家族でいろんな病院をまわったんですが、どの病院も結論は同じで……。24年間サッカーが大好きで続けてきたので、正直、命よりサッカーを選ぼうと思ったこともあったんですけど、家族に泣きながら「泰史には生きていてもらいたい」と言われて、最後は自分の意思で生きることを選びました。

 

──生きて、それから考えようと。

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塚本 はい。それに、先生は「サッカーはもうできない」と言ったけど、それはたぶん人工関節を膝に入れてサッカーを続けた選手がいなかったというだけで、やってみなきゃわからないという気持ちも強くあったんです。

──それだけサッカーが好きで、サッカーがしたいという思いが強かった。

塚本 そうですね。病気を公表した時点では自分のことだけで精一杯だったんですけど、自分で思っていた以上に反響が大きくて。2010年の開幕戦が3月7日にあって、その3日後が手術だったんですけど、スタジアム中が僕の背番号の2番の旗を掲げて、塚本コールをしてくれたのは感動しました。対戦相手のセレッソ大阪さんも横断幕を出してくれたり、アルディージャとはまったく関係ない他の試合会場でも、試合前に塚本コールがあったり、他チームの選手も街頭に立って募金活動をしてくれるなど、すごかったですね。寄せ書きや千羽鶴も2〜3万羽いただいて、それを眺めながら、こんなに応援してくれるみんなのためにもがんばろうと手術を乗り超えました。

2010年3月7日、横断幕が掲げられた 提供:大宮アルディージャ

入院先で出会った高校生の女の子

──手術後、環境が大きく変わった中で、どうやってモチベーションを持続させましたか?

塚本 手術の後、同じ骨肉腫で入院していたカナちゃんという高校生の女の子に会ったんです。彼女は片足を切断していたのに元気で明るくて、いつも笑っていました。カナちゃんはバスケをしていたんですが、「泰史さんががんばっていると私もがんばれる。いつか車イスでバスケする姿をお見せします」と言ってくれて、僕も絶対に治してまたサッカーするから、と約束しました。彼女にはすごく勇気をもらいました。そこからは復帰に向けて必死でした。