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人工関節への手術から8年。再びピッチに立った塚本の今――大宮アルディージャ塚本泰史、がんを語る #2

塚本泰史インタビュー #2

2018/10/23
note

「アンバサダー」という仕事を選んだ理由

──退院後は、どのような状況でしたか。

塚本 治療が終わった後で1年間、選手契約を継続してもらえた2011年は、つらい時期でもあり、自分がまた試合に出られる可能性があるという大きなモチベーションでもありました。その翌年に選手ではなくアンバサダーという立場になった時には、悲しいというか悔しいというか、自分の中で消化不良な部分はありましたけど、クラブがもう一度僕がピッチに立つためにリハビリする時間と場所を提供してくれて、生きていくために「アンバサダー」という仕事を用意してくれたことは本当に嬉しかったですし、ありがたいことだと感謝しています。

 

──がん治療にはお金もかかるので、居場所であり、生活の糧でもある「仕事」ができることは、恵まれているともいえます。

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塚本 僕はありがたいことに募金もしていただけたし、クラブ側の配慮で仕事も継続させていただけましたが、がん保険には入っていなかったんですよ。後から「まさか、がんになるとは思わなかったよね」なんて家族で話しましたけど、人生には「まさか」が起こるんだということは身に染みました。

僕ががんばっていると「自分もがんばれる」という人のために

──アンバサダーの仕事と治療やリハビリとの両立で大変だったことはありますか。

塚本 治療中はつらかったことも苦しかったこともありましたが、アンバサダーに就任してからは、その活動がリハビリのような恵まれた環境なので、大変に思ったことはないです。昨年からはスクールキャラバンも担当しているんですが、小さい子どもたちと接していると、逆に元気をもらえます。この子たちに胸を張って「アルディージャ大好き!」って言ってもらえるようなクラブにしていきたいと思いますね。

 

──塚本さんのがんばりも、たくさんの方に元気や勇気を届けていると思います。

塚本 僕が罹った骨肉腫は、子どもが罹りやすい病気なんです。だから入院中も同じ病気の子どもたちとたくさん接してきました。今は、スクールキャラバンやホームゲームのイベントで子どもたちと接する機会が増えたこともあって、僕と同じように骨肉腫を患った子どもたちや、同じがんと闘う人たちに、少しでも勇気を与えたいという思いが強くなってきました。僕ががんばっていると自分もがんばれる、そんなふうに思ってくれる人が一人でも増えたら、僕も励みになります。そしてそういう中でサッカーを好きになってくれて、大宮アルディージャを好きになってくれる子が増えたら、もっと嬉しいですけどね。

2018年9月24日、9年ぶりにピッチ復帰を果たした塚本 提供:大宮アルディージャ

つかもと・たいし/1985年生まれ、埼玉県出身。浦和東高校、駒澤大学を経て2008年より大宮アルディージャに加入。2009年にはリーグ戦21試合に出場。2得点を挙げ、チームの中心選手として活躍したが、2010年に骨肉腫を公表。同年3月に人工関節を移植する手術が行われ、その後も抗がん剤治療を行い完治。現在はクラブアンバサダーとして活動しながら2016年からはクラブスタッフとしてホームタウン担当も務めている。

写真=末永裕樹/文藝春秋

人工関節への手術から8年。再びピッチに立った塚本の今――大宮アルディージャ塚本泰史、がんを語る #2

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