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“がんばらない支援”でいい仲間を増やして大きな力にしよう

遺贈・寄付特集

苦しむ人々がいる現実から目を背けず、向き合う。俳優の紺野美沙子さんは、20年にわたり国連開発計画の親善大使として世界の人道支援の現場を見つめ続けてきた。そのうえで「がんばりすぎなくても、小さな支援で大丈夫」と呼びかける。


紺野美沙子(こんの・みさこ)
1980年、NHK連続テレビ小説「虹を織る」でヒロインを演じる。その後、俳優として活躍するかたわら、1998年には国連開発計画親善大使に任命され、国際協力の分野でも活動中。2010年秋から「紺野美沙子の朗読座」を主宰。
紺野美沙子(こんの・みさこ)
1980年、NHK連続テレビ小説「虹を織る」でヒロインを演じる。その後、俳優として活躍するかたわら、1998年には国連開発計画親善大使に任命され、国際協力の分野でも活動中。2010年秋から「紺野美沙子の朗読座」を主宰。

──国連開発計画(UNDP)の親善大使として二十年間活動されています。昔から慈善活動に興味がおありだったのでしょうか。

紺野 小学校、中学校はミッション系の学校で、キリスト教の精神として“奉仕”はとても身近でした。とはいっても、やっていたのは近所の高齢者施設を訪ねて玄関のお掃除をしたり、お年寄りの話し相手になったりと、たわいのないことばかりです。それでも入居者の方は「いつも来てくれてうれしい」とおっしゃってくださり、自分の行動がだれかの喜びになることを実感しました。

──親善大使として訪問した国の中で、印象的だった国は。

紺野 すべての国が忘れがたいのですが、やはり最初に訪れたカンボジアは深く心に刻まれています。内戦やポル・ポト政権の独裁などの知識はありましたが、どこか対岸の火事のような意識しかありませんでした。けれど、地雷で足を失った女性とお会いしたり、罪のない人々が虐殺された場所でお話を伺うと、同じアジアで起きていた問題に無関心だった自分がとても恥ずかしく、申し訳ない気持ちで一杯になりました。私の息子と同じ年ごろの子どもが、けがをしても病院に行けず薬もない状況に置かれていました。百聞は一見にしかず。たまたま貧しい地域や紛争地帯に生まれただけで、人身売買や少女売春、児童労働の犠牲となる子どもがいる現実を目の当たりにし、「自分に何ができるのか」「それは偽善ではないのか」などと考え、悩むようになりました。

──どうやって乗り越えていったのでしょうか。

紺野 さまざまな国を訪ね、自分の中でいい意味で“開き直り”ができたように思います。国際協力といってもがんばりすぎなくていいんです。まず、自分を大事にして、友達や家族のことも大切にしていく。その一部をみんなのために使ってみる。一人にできることは小さくても、仲間が増えていけば、やがて大きな力になります。そう気づいてからは、肩の力が抜けました。

──途上国の方々に勇気づけられた経験はありますか。

紺野 西アフリカのガーナでは、たくましい女性たちの姿に励まされました。そこはガーナの中でもHIVウィルスが蔓延した地域で、エイズで親を亡くした孤児を地域のお母さんたちが引き取って、里親として育てていました。六人の子どもを育てる女性はとてもパワフルで、親戚のおばちゃんのように親しみやすく、人間同士の交流に国籍や肌の色は関係ないんだと教えてくれました。

 東ティモールでは、炎天下で一日中、野菜を売っている女性に出会いました。田舎から六時間もかけてバスで市場に出て、朝から晩まで働いているんです。稼いだお金を何に使うのかと聞くと、「子どもを学校に行かせたい」と言っていました。子を想う母の気持ちはどこでも一緒ですね。

──世界の問題に関心を持ち続け、思いを行動に移すにはどうしたらいいでしょうか。