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片山 杜秀
2017/01/01

至福の時代

『ドグラ・マグラ』『黒死館殺人事件』『顎十郎捕物帳』

source : 文藝春秋 2017年1月号

genre : エンタメ, 読書

片山杜秀氏

謎の殺人事件、妖しい美少女、精神病院の閉鎖病棟、時空を超えた因果話、探偵役の科学者。いや、もしかして探偵が犯人? そして、科学なのか疑似科学なのか、怪しすぎる知識の洪水。夢野久作『ドグラ・マグラ』(昭和10年)には探偵小説の意匠が総動員される。されすぎて枠から溢れ出す。カフカに匹敵する不条理文学、ドストエフスキーに匹敵する監獄文学の域にまで達する。切れまくった言葉遣い、構造の並外れた迷宮性も凄まじい。日本近代の長編小説からひとつ選ぶとしたら、夏目漱石でも志賀直哉でもなく『ドグラ・マグラ』。そう思っている。

 小栗虫太郎の小説は長旅の友。スムースに読めなくて頁が進まない。持って行く本が少なくて済む。大長編『黒死館殺人事件』(昭和9年)はその最たるもの。「つまり、明滅する光で垂直に瞼を撫で下す。それを眩惑操作と云って、催眠中の婦人に閉目させるリーゼオアの手法なんだよ。だから、瞼が閉じられると同時に、蝋質撓拗性そっくりに筋識を喪った身体が(後略)」。全編この調子。眩惑操作? リーゼオア? 蝋質撓拗性? 粘着的文章に織り込まれた怪奇な語彙の群れ。眩惑操作には「モノイデジーレン」、蝋質撓拗性には「フレキシビリタス・ツエレア」というルビまで付いている。やっと数十頁読んだら、日本から欧州に着いていたことがあった。

 久生十蘭『顎十郎捕物帳』(昭和15年)は小栗のドイツ語やラテン語のカタカナ・ルビのよく似合う鬱蒼とした文体とは正反対。全24篇のどれも明澄かつ爽快。フランスのコントのスタイルだ。「八挺櫓で飛ばしてくる江戸の鰹買船に三崎の沖あたりで行き合うつもり」。こんな体言止めの多用の生む小気味よさ。「坊主畳を敷いた長二十畳で、部屋の真ん中に大きな囲炉裏が切ってある」。まるで芝居のト書き。鮮やかな即物的文章の畳み掛けが幕末の江戸を眼前に呼び覚ます。城昌幸の「若さま侍」、横溝正史の「人形佐七」も挙げたいが、まずは「顎十郎」。

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

夢野 久作(著)

角川書店
1976年10月2日 発売

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黒死館殺人事件 (河出文庫)

小栗 虫太郎(著)

河出書房新社
2008年5月2日 発売

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顎十郎捕物帳 (朝日文庫)

久生 十蘭(著)

朝日文庫
1998年4月発売

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